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アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
ドキュメンタリー『未来を写した子どもたち』
インドで生活をしてからというもの、やたらと「インド」に敏感になっている。誰しもがそうであると思うのだけど、自分が関わったり思い入れのある地には、その後も関心が働くものだ。

先日、インドの売春街で生活する子供達の姿を追った、アカデミー賞受賞のドキュメンタリー映画『未来を写した子どもたち』を観た。
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インドの一都市であるコルカタ(旧名:カルカッタ)にある売春街。
そこには、違法であると知りながらも生活のために身体を売る女達がおり、彼女たちの多くが家族とともにそこで生活している。
売春街で生まれ育ち、将来は母と同じ売春婦になる運命にある少女達。男に生まれても、売春婦の世話をしたり、客引きである「ポン引き」や麻薬の密売などの道に進むことが決まっている少年達。

誰に教えられるまでもなく「自分の未来は明るくない」と身にしみて感じ取っている売春街で生活する子供達を対象に、写真教室をひらいたフリーライターの外国人女性がいる。
子供達一人一人にカメラを与え、好きな構図で写真を撮らせる。そして現像してみては、良い点を褒めたり、もっと良くするためのコツを教え、子供達の隠された才能を引き出していく。

子供達はファインダー越しに色々な大人の姿を客観的に捉え、そして色々なことを感じ、自分も辿るであろうその姿を疑問に思い、明るい将来を夢見る。夢見てはいけないと知りながら、感じながらも、売春街を飛び出た後の、自分の明るい未来を切望する。

子供達にとっては写真の先生であるが、同時に子供達の未来を明るいものにしたいと活動するフリーライター。子供達にまともな教育のチャンスを願い、学校に掛け合い、役所の手続きに翻弄され、それでも一人、また一人と、売春窟からの救出に成功させていく。
売春窟から逃れた子供達の未来は明るいものに違いなかった…。でも、現実はそう上手くはいかなかった。
子供達が自分たちの夢と現実の狭間に置かれ、どのような選択をするのか、もしくは選択を強いられるのか、それぞれの結果に胸が締め付けられる思いがした。
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「貧富の差」という単純な言葉では測りきれないほどの差があるインド。
インドに5年弱住んだとは言え、私が見て経験したインドは、ほんの一部の限られた世界だけだ。しかも、「日本人駐在員」という安全も身分も会社や国に保証され厳重に守られた環境である。
そんな環境とは対極とも言える、人権もなく、安全も保証されず、無法地帯に暮らす売春街の人々の生活は、知るよしもなかった…。
そんな自分の知らないインドを目の前にたたきつけられた思いだった。
もし、こんな状況を在印時代に知っていたら、自分にも何か出来ただろうか?
いや、知っていたとしても、きっと何も出来ず、何も変わらないのかもしれない…。

アーユルヴェーダ、急発展、ヨガ、摩訶不思議な国、IT大国…、色々なキーワードが当てはまるインドだけど、こういう世界があることも知っておくべきだと思った。


重たく、苦しい気持ちになるけれど、売春窟から抜け出した一人の少女に一筋の希望も抱ける映画です。
機会があれば、是非観てみて下さい。

[2011/10/05 14:14] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6)
心房中隔欠損症
我が子の心臓病に関して、インドの最新医療で受診した日記を綴りました。
よろしければ、以下からどうぞ…
布団が吹っ飛んだ~遠州からっ風便り~
心房中隔欠損症
[2011/09/28 16:48] | 子育て | トラックバック(0) | コメント(0)
映画『神様のカルテ』
もう一つのブログ『布団が吹っ飛んだ~遠州からっ風便り~』にて日記を更新しました。
よろしかったらこちらからどうぞ
映画『神様のカルテ』
[2011/09/11 21:15] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0)
ニューデリー日本人学校同窓会
海外の日本人学校の特色は色々とあげられるだろうけど、中でも「一期一会」という言葉を子供なりにもずっしりと理解できる環境であることは確かだろうと思う。

たまたま偶然、同じ時期に日本を離れ同じ国に生活したことから出会った奇跡。別れの時は、帰る場所も日本各地、もしくは更に移動で違う国へと散り散りバラバラになってしまう。「さようなら」と言ったが最後、本当に二度と会えないような地理的距離を隔ててしまうことも少なくない。

別れの時は本当に辛い。日本人学校に学ぶ子供達は、出会った奇跡を理解し、一緒に過ごす時間を大切にし、そして何人もの友達を見送り、辛い別れを何度も何度も繰り返し、いつかは自分も見送られることを身を以て知っている。

「二度と会えないかも知れない」と心のどこかで思いながらインドで別れた友達と、時を経て日本で再会出来るなんて本当に嬉しいことだ。そういう機会を作ってもらっていることに心から感謝。
ニューデリー日本人学校の場合、「校長先生が任期を終えて帰任された翌夏に開催する」という恒例の同窓会がある。
前回の同窓会から3年振りとのことだが、昨秋本帰国した私たちは今回が初めての参加。
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ニューデリー日本人学校では、毎年学年末に全校生徒児童の作文集『たいよう』を作成し、文集末尾に帰国、もしくは移動でインドを離れた先生や児童生徒の連絡先を掲載している。そのそれぞれの連絡先に「同窓会のお知らせ」が届くという仕組みになっている。

子供達にとっては、幼稚園からお世話になっている日本人学校の友達。親にとっては、苦楽を共にし、互いに助け合い支え合ってきたインド生活の戦友。
日本の学校では父親同士の結びつきはあまり強くないかも知れないが、海外、特に進出日本企業がまだ多くないインドにおいては、「子供の友達の父親=仕事のパートナー」であることが殆どである。
だから学校の人間関係は、子供達にとってだけでなく、母親にとっても父親にとっても思い出深い人間関係であることが多い。
そういうわけで、それぞれが懐かしい想いを胸に、家族総出5人でニューデリー日本人学校の同窓会に出席してきた。

会場はもの凄い熱気に包まれていた。13時から15時というたった2時間の開催の為に、北は北海道から南は鹿児島まで、はたまた海外からはベトナム、韓国、インドからまでも、多くの人が懐かしい再会を求めて東京に集まった。

会場に入るなり沸き上がる歓声。抱き合う人達。あちこちで出来上がる人の輪。再会を祝う乾杯の声。カメラでの記念撮影。メールアドレスや携帯番号の教え合い。お互いの近況報告。それぞれの子供達の成長に驚く声…。
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我が家のピー助のように、インドで別れた頃には存在していなかった新しい命が誕生していたり、ヨチヨチ歩きだった赤ちゃんがすっかり子供になっていたり、はたまた中学生だった子供達は見違えるような青年に成長していたり…。
話しは止まるところを知らず、久しぶりの再会にも関わらず、つい先日までインドで一緒に会っていたような錯覚さえ覚えてしまう不思議な空間。

久しぶりに会う子供達は、背がグンと伸びていたり、しっかりした顔つきになっていたりと成長を実感させられたけど、やっぱり中身は変わっていないようで、会場の床に座り込んでカードゲームに興じたり、ゲームの対戦をしたり、何も変わらない懐かしい光景が繰り広げられた。
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元2年M先生学級男子と担任のM先生。
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話しに夢中になっていると「残念ながら、もうお時間です…」とのアナウンスが入り、これまた懐かしい音楽の先生の指揮の下、全員で日本人学校の校歌を斉唱した。胸に熱いものがこみ上げたのは言うまでもない。
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「僕らの国は遠いけど」「色鮮やかな日の丸は」「僕らのバスに微笑んで」歌詞のフレーズ全てに、日本を想いインドを実感し、ことある毎に歌ってきたニューデリー日本人学校の校歌。子供だけでなく「私も歌える」という保護者は多いはず。
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インドではビザの関係で就労できないこともあり、殆どが専業主婦で「マダム」な生活を送ってきた母達。でも日本に戻って、新たに仕事を始めたり、資格にチャレンジしていたり、子育てに奮闘していたり…、と今も輝き続ける多くの友達の姿に刺激を受けた。私も頑張るぞ~!

朝8時過ぎに自宅を出て東京に向かい、夜21時頃に帰宅した私たち。子供達は冷めやらぬ興奮で新幹線の中でも色々と話していたが、ピー助は流石に疲れたようで移動中の父の肩でグッスリ熟睡。
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次の同窓会は、現校長先生の帰任翌夏。2~4年後だろうか。その頃には、今インドで頑張っている友達の多くも帰国しているだろう。同窓会での再会を早くも心待ちしている。

[2011/09/02 23:50] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(4)
自分探し
新日本生活を綴った新ブログの方で日記を更新しましたので、よろしかったらご覧下さい。
詳しくは以下をクリックお願いします。

『布団が吹っ飛んだ!~遠州からっ風便り~』
8月1日「自分探し」
[2011/08/02 23:26] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0)
インドのお客様
インドの人に限らず、宗教の戒律を守っている人達にとっては、海外での食生活はなかなか難しいようだ。
「ベジタリアン」・「ノンベジタリアン」の食品区別をきちんと表示している国の方が少ないと思うのだけど、日本でもやはりこれらの表示区別はされていない。

夫A-さんのインドでの元同僚が出張で来日した。
日本の一般家庭を見る機会もそうないだろうし、是非日本小市民体験をして頂こうと、我が家にご招待した。

さて、頭を悩ませたのは食事。
インド人のお客様はお二人ともベジタリアンとのこと。しかも、肉だけでなく、卵も食べないピュア・ベジタリアンである。
肉なしのお好み焼きにしようか?、と思ったが、お好み焼きソースを見ると「肉エキス」とある。駄目だ…
ポテトサラダにしようか?あぁ、マヨネーズは卵使っているよ…駄目だ。

宗教上の理由で特定のものを口にしない人には、やはり誠意を持って接するべきであり、コソッと肉エキス入りのものを使ってしまおうか、とは決して思えない。
インド料理のベジタリアンものを作っても、きっと「なんちゃって」でしか有り得ないので、とてもじゃないけどお出しできないし、やっぱり日本の家庭料理である和食を召し上がって頂こう、と筑前煮やおにぎり、焼き茄子、野菜のおひたし、お味噌汁を作ることにした。

話を聞くと、日本語の表記も読めないので、原材料に肉類が含まれていても分からないし、知らないうちに食べてしまって戒律を犯したくない、との気持ちから、日本に来て、一度も外食で和食を食べたことがないのだそうだ。
「じゃ、毎日何を食べているの?」と聞くと、「インドから持ってきたベジタリアン用のレトルトカレーやインドのヌードル」とのこと。

テーブルに食事を並べて、一つ一つ何が入っているのか、肉類は一切使用していないこと、安心して食べて良いこと、を伝えた。若いインド人青年達は白い歯を見せてにっこり笑い、安心したように料理を食べ始めた。
「美味しい~!」「これは何の味付けですか?」「日本食、初めて食べました。食べられて良かった。嬉しい!」
と一口一口に嬉しい感想を述べてくれ、慣れない手つきではあるけれど、一生懸命箸を使って食べていた。

食後、子供達と一緒に花火タイム。
インドで花火と言えば、結婚式の定番である打ち上げ花火や騒々しいロケット花火や爆竹、ネズミ花火など。繊細で小さな火の玉が今にも落ちそうに震える、儚げな線香花火なんてないんじゃないだろうか。
「日本の繊細な花火を楽しんで!」「インドじゃ花火はディワリの風物詩だけど、日本では夏の夜の家族団らんのイメージだよ。」などと説明する。
子供達とキャーキャー、ワイワイ言いながら、手持ち花火を眺める姿はとても純粋だった。
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花火も終わり、ちょっとデザートタイム。
日本を感じて貰おうと、和菓子を用意しお抹茶を点てた。
「お茶碗を右手でとって、左手の掌に載せて、少しずつ回すんだよ。」とやってみせると、二人とも恐る恐る大きな手で小さなお茶碗を回している。
桜餅と水まんじゅうを出したのだけど、水まんじゅうが特にお気に召したらしく、「こんなに美味しいお菓子は初めて食べた!!」「素晴らしい!」と大興奮。

「甘いお菓子を食べた後に苦いお抹茶を頂くと、口の中でさっきの甘さがより感じられ、またお茶の香りや深みが引き立つんだよ。」と言うと、「ホントだ!!」と目を丸くして驚き、お茶を口に含んでは味わって納得している。
「これは絶対にお土産に買って帰りたいです!」とまでにお抹茶を気に入り、少しでも日本を好きになって貰えたようで私も凄く嬉しかった。

何だか別れも惜しくて色々な話しをした。
インド映画界の好きな俳優、結婚、日本の印象、お土産に持って帰りたいものリスト、最近のインドゴシップなど等…。楽しい夕食会だった。

意外だったのは、インドであれほど何の衒いもなくインドの人達と普通に接して英語でも話していた子供達が、今回は恥ずかしがってあまり会話にも加わらず、借りてきた猫のようだったこと。
これもまた成長の一環なんだろうけど…。

インドの人達と久しぶりに一緒に過ごして、「あぁ、やっぱり私はインドが好きだなぁ。」と再認識した。インドに限らず、こうやって、色んな国の人と個人的にお付き合いをして、その人柄に触れ、その人の背景にある文化を感じ、その国を好きになる。

別れ際、「来日の際は、いつでも我が家にご飯食べに遊びに来てね!」と話した。
残りの日本滞在期間、彼らが良い経験をし、素敵な思い出を沢山作れますように…。
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最後に、今日のゴシップ話の中で得た新情報。
アイシュワリヤー・ラーイがご懐妊とのこと。
ソース顔(この表現も死語?)どころか、めちゃめちゃ濃い~マサラテイストなハンサム顔のアビシェーク・バッチャンと世界一の美女と言われるアイシュワリヤーの子供なんて、きっともの凄く美形に違いない!!
あぁ、そのご懐妊フィーバーを現地で感じたかった…(涙)


[2011/07/03 02:12] | 日記 | トラックバック(1) | コメント(18)
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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