アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
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ザンジバル旅行 その4~市街観光2~
ザンジバルの市街観光レポート第2弾は、ストーンタウンの街中について。ストーンタウンの特徴を語るには、ザンジバルの歴史は抜きには出来ないほど、各時代の名残が溢れている。

ざっとザンジバルの歴史をご紹介…
まず、現在のタンザニア連合共和国としてのザンジバルは1964年に誕生しており、現国家は歴史的にはまだ浅い。ちなみに、建国年数は夫A-さんと同じ年齢(笑)
15世紀に世界周遊でおなじみポルトガル人のバスコダ・ガマがザンジバルを訪れたのをきっかけに、ポルトガル人の入植が進みキリスト教がもたらされる。
19世紀、オマーンで力を持っていたアラブ勢力がザンジバルに遷都してからは、スルタンの支配下になり、アラブ商人によって奴隷貿易の拠点とされる。アフリカ本土より連れてこられたアフリカ人はザンジバルの奴隷市場で売買され、1873年まで奴隷貿易は続く。
その後、反人道的な奴隷貿易に反対する英国により保護領とされ、1963年、英連邦の一員として独立。しかしその翌年の1964年1月、長年のアラブ支配に対してアフリカ人がクーデターを起こし、革命委員会が成立し、新内閣によりザンジバル人民共和国が誕生。内部対立により大臣追放など不安定な状況は続き、同年4月、タンガニーカとザンジバルが合併し、現在のタンザニア連合共和国となった。

ざっと紹介しただけでも、波乱万丈である。現在の美しくゆったりした島の印象からは想像もできないほど、悲しい歴史も血を流した歴史もある。
スルタン統治時代の遺跡が多く、アラブ人の砦やスルタンの宮殿、ハーレム跡などが残っている。また英国統治時代のものとしては旧英国領事館などもある。
奴隷貿易の悲しい時代の遺物としては、奴隷市場跡に立てられた大聖堂や、奴隷貿易禁止の跡にも密かに続けられた奴隷密輸の洞穴などもあり、過ちを二度と繰り返さないためにも、ボランティアの通訳ガイドによって、当時の様子が伝えられる努力もなされている。

ストーンタウンにある、スルタンの式典用宮殿、通称「驚異の館」からは、インド洋や近隣の珊瑚礁の島々、そしてストーンタウンの街並みが見渡せる。Zさんお勧めの絶景ポイント。
「驚異の館」入り口の大砲。
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バルコニーからは最高の眺め。インド洋を背景に靡くザンジバルの国旗。(ザンジバルに住む人はザンジバルを独立した国と考えている)
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ストーンタウンが見渡せる。世界遺産登録も納得の歴史を感じさせる街並み。
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奴隷貿易では、アフリカ本土から連れてこられたアフリカ人たちが、一旦ザンジバルに収容されてから、オークションにかけられ新大陸に連れて行かれたという。「人間としての尊厳」なんて微塵も感じられない奴隷収容所跡。明り取りの小さな隙間、互いの足を縛りつけた鎖など、胸が締め付けられる。
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奴隷市場の跡地に建てられた大聖堂。
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美しいステンドグラスは奴隷貿易撲滅に命をかけた人を偲んで作られたもの。
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祭壇の床に一箇所、白大理石の円がある。奴隷貿易当時、ここに奴隷を立たせ、鞭で叩き、泣けば「ひ弱」とされ値段が下がり、泣かずに耐えられれば「丈夫」として値段が上がったという。何とも言えない怒りが湧き上がる話。
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教会外に作られた奴隷の像。鎖で首を繋がれた奴隷の姿が悲しすぎる。
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子供達にはまだ難しいかもしれないけど、いつかきちんと理解してもらいたい奴隷貿易の事実。「皮膚の色が違う、人種が異なる、というだけで、ジャガイモ1つくらいの値段で人間が売られ、人間として扱われない、そんな酷い時代があった。そんな事は絶対に許されるべき事じゃない、それだけは覚えておいてね。」と、そう語るのが精一杯だった。

自分達の知らない未知の国々。民族も宗教も文化も全く異なる地域へ旅するのは、どんな言葉を話そうが、どんな外見であろうが、皮膚が何色であろうが、同じ人間である、ということを感じ取って欲しい、という願いがある。行った先々で、その国の人に優しく接してもらい、微笑みかけてもらい、受けた優しい印象というのは、幼い子供の記憶には残らないかもしれないけれど、記憶よりももっと本能に近い場所に刻み込まれると信じている。将来、我が子達が成長し、世界に羽ばたく時、人種・国に関係なく、幅広い交友関係を築く事ができる源になるはずだ、と母は思う。
いつも子供達に優しく接してくれたお兄さん。ピー助も機嫌良く抱っこされていた。
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悪名高き奴隷貿易とは打って変わって、ザンジバルと言えば、ロッカーの神様、QUEENのフレディ・マーキュリーが生まれ育った地でもある。マーキュリーグッズも多く売られている。
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ストーンタウンには「フレディ・マーキュリー生誕の家」を自称する建物が数件ある。「マーキュリー」という名前のバーもあり、そこへはザンジバルに行く前から「絶対に行かねば!」と思っていた。…というのも、オリジナルTシャツがあるから(笑)
夜、Zさんご夫妻が「子供は見といてあげるから、夫婦でマーキュリーにデートしておいで。」と言ってくださり、ご好意に甘え上二人を預け、オッパイ星人のピー助だけは置いていけないので夫A-さんと3人で行ってきた。
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店内はマーキュリーの子供時代や家族の写真が飾られ、「ボヘミアン・ラプソディー」という名のカクテルなど、QUEENに因んだ名前がつけられている。
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夫A-さんはボヘミアン・ラプソディ、私はザンジバル・ラプソディで乾杯!
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残念ながらオリジナルTシャツは売り切れで買えなかった…またザンジバルに来い、ってことかな(笑)

ストーンタウンには細い路地が幾筋も走っており、曲がりくねった道を抜けると、いきなり目の前に青い海が広がっていたりして、これまた感激させられる。
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白い壁の建物。歴史を感じさせる古さ、でも街中が美しく保たれている様子がとても素敵。衛生観念もかなりきちんとしているようで、ゴミなどは落ちていない。
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あちこちで見られた、大きな木の門扉に特徴的な凸凹の飾り。昔、インド商人たちの乗っている象が、鼻で扉をドンドン叩いて壊してしまう事が多かったので、象除けに凸凹を取り付けたのが始まりらしく、今ではザンジバル特有の扉装飾になっている。
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くねくね細い路地、白い壁の建物、青い海、抜けるように澄み渡った空。ストーンタウンは魅力溢れ、歴史の重みも感じられる、見所満載の街だ。そして、嬉しい事に、そのあちこちに美味しい匂いが立ち込める屋台の宝庫でもある。
ザンジバルで食べた屋台フード、これまた最高だった。ジュージューという焼き音や、香ばしい匂いにいてもたってもいられなくなる牛肉の串焼きや、シーフードの鉄板焼き。
ストーンタウンの屋台食べ物編はまた次回!


≪番外編≫
我が家の旅の鉄則「現地から自宅へ葉書を投函するべし」
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[2009/01/17 23:53] | インド国外旅行 | トラックバック(0) | コメント(2)
<<ザンジバル旅行 その5~屋台フード~ | ホーム | ザンジバル旅行 その3~市街観光1~>>
コメント
そうそう
マーキュリーはTシャツがなかったの残念だったねえ。しかも、早く店を閉めたがっててゆっくりできなかったみたいだし。またリベンジにいらっしゃいってことやね!
郵便局の看板、無造作に立てかけられてるんが、いかにもザンジバルのぐうたらぶりを表してるわ。道路の電球が切れてもいっこうに換えられる様子はないし、ほんとゆったりというかなってないというか…。でも、それが何か?って言われそうなとこがまたザンジバル人の気質なんかも。
教会はばたばただったけど、でも行っていただけてよかったです。歴史に関わるミステリーが実はあるのです。興ざめするといけないと思って伝えなかったんだけどねv-83
[2009/01/19 23:13] URL | Z #- [ 編集 ]

v-4<Zさん
看板の立てかけ方も、今となってはザンジバルらしいや、と思うよ。のんびりして良いんじゃない?・・・そう思う私もかなりインド人化してるかもね(笑)
大聖堂にまつわるミステリー?!そういうの大好きよ!!是非教えてくださいな。
あっ、でもホラー系はダメだけどね…(汗)
[2009/01/20 01:26] URL | aranyos #- [ 編集 ]
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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