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アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
『はだしのゲン』インド版
ふと立ち寄った書店で、馴染みのある本を見つけた。それは『はだしのゲン』の英語訳マンガ。子供の頃から祖母の戦争体験を聞いたり、両親に連れられて『大阪大空襲写真展』などで戦争の悲惨さを見聞きしていたので、戦争を経験したことのない私も「戦争は怖いんだなぁ~」と子供心にも感じていた。小学校の修学旅行で広島に行ったときも、原爆資料館で目を覆いたくなるような映画を見たり、辛いだろうけど、今も傷跡の残る体を見せながら、被爆体験を語ってくれた人たちの姿など、思春期ということもあって、それらが強烈な印象として残り、考えるまでもなく「戦争はいけないことだ」と理解するようになっていた。
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ここ最近で戦争・紛争の恐ろしさを強く意識させられたのは、米軍のイラク侵攻のとき。ちょうどその時期、私たちはハンガリーに駐在していて、攻撃がいつ始まってもおかしくないような雰囲気の中、ハンガリー国外への渡航を禁じられ、国内のアメリカ軍基地へも近づかないよう注意を受けた。テレビでも毎日緊迫した内容のニュースが流れており、夜の真っ暗闇の中、アメリカ軍が発砲する砲弾の、不気味な白い光線の映像が侵攻の幕開けとして放映され、心底恐怖を感じた。平和な暮らしなんて、瞬時に吹き飛んでしまうんだということが、周りの空気からも察せられた。

しばらく書店で、「どんな訳をしているのかなぁ」という興味から『はだしのゲン』を立ち読みしていたのだけど、ページをめくるにつれて、これはやっぱり本腰を入れて読むべきものだし、英語の勉強にもなるだろう、とも思って購入した。

原作を何度も読んでいるので、その英訳が忠実な訳であることもわかったし、何より、訳し手である”PROJECT GEN”なるグループの決意表明が心に響いた。
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”PROJECT GEN”の代表ANAND PATWARDHAN氏の言葉。
1998年、インドとパキスタンが核実験を行ったとき、両国ともに、自国の核保有を誇らしげに賞賛し、大々的な軍事パレードを行ったりしてお祭り騒ぎをしていた。その一方で、私は感じた。戦争とは、核兵器とは、自分たち人類を破滅へと追いやるものだ、という認識を持ち、核兵器の恐ろしさを理解している人間は、ごく少数である、と。
そこで、今こそ核兵器の恐ろしさを伝えるべきであると考え、広島・長崎の原爆映画の上演会を行ったり、写真展を開催したりもした。しかし、それでも上手く伝わらなかった。何故なのか、私は大いに考え悩んだ。そして思ったのは、誰しもが戦争・核兵器に対して、「どこか遠い国の知らない人の可哀想な体験」という感覚でしか理解できていない、ということ。誰にでも起こりうることであり、我々同様、同じ血の通った人間の身に起こった話なのだ、ということを伝えるべきなのだ。
そんな時『はだしのゲン』に出会った。どこにでもいそうな腕白な少年と温かい家族。等身大の登場人物。彼らが戦争中に感じた空腹感・恐怖感、そして家族を亡くしてしまう悲惨さ。それらを伝えることが真の反戦・反核教育になる、と私は信じる。『はだしのゲン』は子供だけでなく、大人も読むべきものだ。


・・・と、こう述べている。
確かに、私が子供心に「戦争はいけない」と感じたのも、何より父、兄、周りの身近な人々が戦地に赴き、手足をもぎ取られてしまう、あるいは戦死してしまう、赤ちゃんまでもが無差別に殺されていく・・・そういったことを、強烈な絵で視覚的に印象付けられたからだと思う。
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インドと日本、離れていて共通点も少ないかもしれないけど、こうやって、『はだしのゲン』の訴えに共感し、世に広めているグループが存在する、ということは素晴らしいことだと思う。

妻が、こうやってその活動に甚く感心している一方、夫A-さんは「広島弁なんて、よく訳せたよなぁ…。」なんて全く違うことに感心していた…(汗)確かに原語では広島弁だらけ。
「ほうよ(そうだよ)」「助けてつかぁさい(助けてください)」「~じゃがなぁ(だけどなぁ)「おんどりゃぁ~(お前は~)」など等。

今後、もしインドの人に原爆のことを聞かれたら、『はだしのゲン』を貸してあげようと思う。せめても、それが世界で唯一の被爆国日本の国民である義務かもしれない。

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[2008/09/16 22:30] | 買い物 | トラックバック(0) | コメント(2)
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コメント
広島行きました
お久しぶりです。新鮮野菜畑を根性で捜し出したさとちゃんです。遂に夫が赴任しました。赴任に先だって、夏休み最後の家族旅行を広島に決め、私は念願の初広島を体験しました。宮島は干潮しかも大潮にあたり、鳥居まで歩いて行くことができ、伝説の?平家かに?らしきカニさん達にも出くわし、翌日は原爆ドームと記念館へ。ドームの前に立った時、何度も繰り返し映像でみてきた、悲惨な状況が頭の中で駆け巡り、亡くなった方々の思いが胸に押し寄せ、自然と涙が溢れ出ました。今公園になっているドーム周辺は商店街で人通りも賑やかであったことも勉強不足なわたくしは初めて知りました。子供たちに平和について考えてもらうには、広島しかないと思って訪れたのは、正しかったと思います。おりしもG8議長サミットの直前で中3の長男は白い大きな折づるにメッセージを残していました。外国人の訪問者が多いのにも少し驚き、やはり平和を思う人々が遠く海を越えて広島まで来てくださっていることに広島の役割を再認識しました。多くの人々が熱さに耐えかね身を投げた太田川で、若者達がモーター音を轟かせ水上バイクに興じている姿に違和感を覚えたのは、私だけなのか、それだけ広島は復興し平和になったと解釈するべきなのか疑問を感じる瞬間もありましたが、これからも強く世界にむけて広島から平和を訴え続けてほしいと願います。そして次は議長レベルでなく、近い将来、アメリカ大統領に訪問してもらえますように。
[2008/09/17 14:15] URL | さとちゃん #- [ 編集 ]

v-22<さとちゃんさん
お久しぶりです。日本にいながらもデリーのマップと格闘されたさとちゃんさん、凄いと
思いましたよ~!
広島に家族旅行されたのですね。広島は食べ物は美味しいし、お店も素敵なところが多いし、人も温かく、緑は多い、外国人も多くて国際的で、私もとても好きです。毎回主人の実家に帰るのが楽しみでもあります。何より、広島弁ののんびりした雰囲気に和みます(笑)
原爆の恐ろしさが昔のことのように忘れ去られそうになっている今こそ、大人も子供も改めて広島・長崎を訪れる必要があるのかも、と思います。
なにより、さとちゃん一家がご主人の赴任前に、家族水入らずの素敵な旅ができたこと、
それが一番良かったですよね。
[2008/09/19 13:12] URL | aranyos #- [ 編集 ]
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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