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アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
ピー助離乳食開始
早いもので、インド生まれの我が家の末っ子ピー助も5ヶ月を過ぎ、最近は離乳食をスタートした。

そもそも私にとって離乳食で神経質だったのは、一人目の鉄男のときだけで、初めてだから調理器具やスプーンなども煮沸消毒したり、裏ごしも一生懸命し、成長段階にあわせて、サラサラ→ドロドロ→ツブツブ→コロコロなど、具の硬さもちゃんと育児書どおりに実践したものだ。

そして二人目のチーコが初めて口にしたものは、なんとチューチューアイス…(汗)そこからはサラサラ・ドロドロの段階なんてすっ飛ばして、いきなり細かく刻んだ普通の焼きそば…チーコ専用で離乳食を作ったことは、申し訳ないが全くない…(汗)おぉ、チーコよ、ズボラナ母を許して~

そこへ来て、3人目のピー助。推して知るべし、である…(汗)初めて食べたものは、大粒のブドウ。ジュース状にしたのでもなく、みんなで食べているときに、なんとなく欲しそうにしていたので「食べる??」と、皮をむいたブドウを口に近づけてやった。そしたら、凄い勢いで吸い出した!!
果肉を喉に詰まらせると危ないので、必死に吸引力と戦いながら、母はブドウを指で支える。ピー助は顎と舌で器用に果肉を押しつぶしながら、夢中で汁を吸い、柔らかくなった果肉も食べる。そんな感じで、初めての離乳食で、大粒ブドウ2個も平らげてしまった・・・。
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それからというもの、離乳食はさらにズボラな方向へ…。肉じゃがも調理段階で取り出して別調理するわけでもなく、食卓でピー助用にマッシュしてあげるだけ。それでも凄い勢いで食べる・食べる!一口飲み込めば、大口開けて待っているし、2匙目が遅ければ、自ら母の手をとって口元へと持っていく。恐ろしい食欲(笑)おやつの赤ちゃんせんべいも、ペロリと食べてしまう。おかげでプクプクどころか、ブクブク大きくなっている次第。目指せ!羽ばたく孔雀横綱!(笑)
スイカだってチューチュー吸っちゃうぞ~
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インドに赴任される方で、乳幼児を抱えていらっしゃる方は、インド赴任を躊躇われるようだ。
雑菌だらけの中で、消毒とかどうするの?
水の問題もあるのに、安全な離乳食はつくれるの?
ベビー服の洗濯とかでバイキンがついたりしないの? など等・・・

大丈夫です(笑)消毒も煮沸消毒なんてしたことありません。洗剤で洗ってすすぎはフィルターを通した浄水で行い、清潔な布巾で拭く、ということで問題ないです。離乳食も最初は皮の剝ける食べ物(バナナ・ブドウ・りんごなど)を食べさせています。ただ、日本の離乳食によく登場するシラスや白身魚などは、こちらで入手困難なので、便利なレトルト物を日本から大量に持ち込んでいます。外食や旅行の際にも、温めるだけで食べられるような、離乳食のレトルトパックはお勧めです。オヤツも、お米のおせんべいやたまごボーロなどはこちらにはないので、持ってこられると良いかもしれません。
洗濯ですが、一応、ピー助のものは他の家族のものとは別洗いで、乾かした後にアイロンを高温で当てて、殺菌消毒しています。

これらのズボラなやり方で大丈夫だとは思うのだけど、ピー助は何の問題もなく、元気に暮らしているので問題はないでしょう…
離乳食に関して思うこと。「三つ子の魂百まで」じゃないけど、離乳食ってその後の味覚にも影響を与えるのかな、と実感している。鉄男は生後2ヶ月からハンガリーで生活し、日本からの離乳食セットなんて殆ど与えたこともなく、全て現地のやり方でやっていた。なので、おのずと、近所のハンガリー人先輩ママから教えてもらった、ハンガリー風な離乳食が多かったわけだけど、その為か、鉄男は今でもクリーム系の煮込み料理が大好き。チーコは純和風離乳食だったので、魚や出汁系の和食が好き。ピー助には、まだスパイス類は早いとしても、いずれはチャパティ(薄いパン)やダル(豆煮込み)などのインド食も与えることになるだろうから、今は日本的なシラスなどの味も覚えて欲しいと思い、そういうものは日本より持参。
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食べることは問題ないんだけど、飲むことに関しては、全く哺乳瓶を受け付けないピー助。なので、麦茶やベビーポカリなども飲まない。哺乳瓶のニップルが嫌なのだ。そういうわけで、母はひたすら母乳マシーンとして付きっ切りの生活。まぁ、それがなんとも言えず幸せなんだけどね(笑)

色々な物をたくさん食べて、丈夫な子供に育っておくれ・・・。願いはそれだけだ。親にとって欲のない平穏な時期なんて、この時期だけかも。
鉄男にはやれ「宿題は早く済ませろ」「忘れ物をするな」。チーコには「着る服にいちいち文句をつけるな」「お喋りばかりしないでサッサと食べなさい」などなど、成長するたびに小言が増えてしまう。あぁ、自己主張が出る前の可愛い時期は本当に短い。今の可愛さを堪能せねば…(笑)

最近のピー助。父帰宅後にお膝に座って、一緒に読書タイム。たまにページをグシャグシャにする。
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[2008/09/30 21:30] | 子育て | トラックバック(0) | コメント(9)
秋の味覚
暑かったデリーも、ここ最近は夕方になると、30度以下になることも多く、涼しくなって秋を感じられるようになってきた。秋といえば、そう「食欲の秋」(笑)
テロが頻発している今日この頃だけど、平日の午前中なら大丈夫かな、と思い、秋の味覚を求めて、質の良い野菜や果物などが買えるINAマーケットへ行ってきた。(ちなみに、避けたほうが良いのは週末の人が多い時間帯の大きなマーケットなど、と私は認識している。)
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あったあった、秋の味覚。栗や柿もある~。
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虫食いの大穴開き栗や奇形栗なども混入しているので、大粒で綺麗な栗を自分の目で選び購入。欲しいものだけ買ったら、さっさと帰宅。早速、大好きな栗の渋川煮を作り始めた。重曹はベーキングソーダとしてこちらでも購入可。グツグツと灰汁を取りながら、何度も煮こぼして、程よい甘さに仕上げる。そして完成!
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結構たくさん作ったけど、あっという間に子供たちの口へと消えていった。「栗、クリ、もっと栗~!」とバクバク食べる子供たち。また栗を買いに行かないと~。まだまだ日本の夏並みの気温のインドだけど、秋の味覚、楽しめますよ~。
[2008/09/29 14:30] | 食べ物 | トラックバック(0) | コメント(11)
テロの恐怖

先週のことだけれど、9月19日に、テログループの潜伏場所に警察が押し入り、銃撃戦の末、テロリスト2人が射殺され、1人は逮捕、警察官1人が殉職、もう1人が負傷、という事件が起こった。 しかし残るテロリスト2人は逃走し、デリー南東部の在住者や近隣に勤務する人々に、厳重なる注意が呼びかけられた。

私たち在留邦人に対しても、日本人会や日本人学校から緊急連絡が回ってきて、「只今、日本人学校より35キロ辺りを逃走中との情報が入ったので、十分気をつけてください」との連絡を受けた。

通学バスは無事に子供たちを送り届けてくれたし、夏祭りの準備も滞りなく進められたけれど、思わず背筋がゾッとする出来事だった・・・

翌日の新聞によると、テロリストは学生と偽って部屋を借り、そこを活動拠点としていたらしい。昼間の平和なイスラム居住区が、一瞬にして銃撃戦の場となってしまうとは、何とも恐ろしいことである。


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そして、同じく新聞記事から・・・

連続爆破テロが起こったカロルバーグでは、金属探知機付のゲートが導入されたにもかかわらず、人手の多い日曜日、それらは使用されず、今回の爆発事件からは何の教訓も得なかったのか・・・と。


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連続爆発テロ以降、まだまだ傷が癒えない人も多いし、トラウマになって恐怖から抜け出せない人もいる。そして、今回の事件だけでなく、2年前のサロジニナガールなどでディワリ前に起こった連続爆発テロの惨事をまた思い出し、フラッシュバックに苦しむ人もいる。


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それでも、人々は強く逞しい。爆発の起こったマーケットでは、翌日から普段通りに開店営業し、買い物客もやってくる。(もちろん野次馬も・・・)

私たちも、気をつけるように、とは言われても、用心しながら普段どおりの生活を送るしかない。子供は学校へ行くし、夫は出勤する。食事のための買い物へも行く。いつどこで起こるかわからぬテロに怯えて、家から一歩も出ない生活をするなんて不可能だ。卑劣な手段に屈せず、ビクビク怯え続けることもなく、普段どおり生活する。

「生活」とは、孟子の言葉で「生存するために活動すること」であるそうだ。テロ行為によって町が破壊されても、生活がかかっているから、泣いてばかりもいられない。気を取り直してまた頑張る。テロに屈しない強さは、「生活しないといけない」という意外と単純だけど、まさに生きようとする活力によるのかな、と今まで平和な日本では考えたこともなかったことに対して、自分なりの答えを見つけたような気がする。

≪追記≫
今日27日、午後15時頃、またもや爆発テロがあった。今回狙われたのはデリーの南部、世界遺産であるクトゥブミナールの近くにあるローカルマーケット。まだ被害状況や背景など詳細はわからない状態だけど、とりあえず私たち一家は無事です。ここのところ、毎週のように頻発する爆発テロ。我が身は自分で守らねば、と気を引き締めさせられている…。

[2008/09/27 23:22] | インドの新聞より | トラックバック(0) | コメント(4)
ヒット商品!!
久々にヒット商品を見つけました!偏頭痛もちの貴女、これは絶対にお勧めです。…って、またもや怪しいセールスレディやんか、私(汗)

悲しいかな、毎月のように連日の偏頭痛に悩まされている私。今まではイブなどの鎮痛剤を飲んでいたんだけど、今は授乳中なので化学系薬品は避けたいところ。
偏頭痛が始まると、頭が割れそうで、吐き気までしてくる。またまた、そこへ子供たちの喧嘩の大声&叫び声…うぅぅぅ~、お願いだから、やめてくれぇ…ズキズキ。そこへまた追い討ちをかけるかのような、ピー助の容赦ないオッパイくれコール。ズキズキズキ…それはまさに地獄の痛み(涙)

急いで近所のハンサムなターバンお兄さんが営む薬局へ。
「頭むっちゃ痛いんやけど、化学系薬は飲まれへん。アーユルヴェーダ系でエエ薬ない??」と顔を歪めて聞く私に「あるよ、あるよ。頭痛にはこれ、ハイ。」と渡してくれたものがこれ。
ZANDU BALM
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「どうやって使うの?」
「こうやって、おでこにゴシゴシ刷り込むだけ」
(ホンマかいな、そんなんで効くんかいな…?)と半信半疑だけど、値段が17Rsだったので、駄目もとで買ってみた。

帰って早速、おでこに塗り塗り。数秒後…
おぉぉおおおぉぉお!!!!!!
ムッチャ効きますがな、これ!あまりの痛みに目も半開きだったのが、ばっちり全開!すっきり爽快!
頭痛なんて嘘のようにひいていった。ただし、効力はバームが乾くまでの2時間くらい。乾いたらまた塗って、気分爽快。…というのを2・3回やれば、頭痛とは完全にオサラバ出来る。

妊娠・授乳中の方、化学系薬品は苦手という方、これは試す価値ありです。超お勧めです。ちなみに、筋肉痛・神経痛などにも効きます。同じく痛い箇所にヌリヌリするだけ。
ターバン兄ちゃんいわく、「昔から、痛みにはこれなんだよ。どこの家にも1個はあるよ。」とのこと。
薬局で買えます。17Rs(約50円)。価格対効果抜群です。
一時帰国のお土産にして、あちこちでばら撒き、近所のお友達にも大好評だった。インドのアーユルヴェーダ土産に、家庭の常備薬にいかが??

私、怪しい者でも、薬局の回し者でもないし、マージンとかもらってませんから…(笑)
[2008/09/25 14:00] | 買い物 | トラックバック(0) | コメント(12)
イスラム教徒の思い

9月13日に起こったデリーの連続爆発テロ。犯行グループの声明からイスラム教の過激派組織の仕業として捜査が続いている。そんな中、インド国内において、イスラム教徒に向けられる視線は、残念ながら穏やかではなくなっているようだ。

インドの全人口に占めるイスラム教徒の割合は1割強あり、人口10億を越えるインドにおいての1割強であるから、中東の国々のどこよりも、イスラム教徒人口はダントツで一番多い。

 ご存知のとおりインドは、あらゆる宗教と人種を抱えながらも、ひとつの国家として成り立っている、いわゆる多種多様な国である。実際、インドで生活していても、普通に何の差別も偏見もなく、さまざまな宗教の人々がそれぞれの存在を認めながら生活しているということが感じられる。

例えば、我が家の現ドライバーさん2人のうち、1人はキリスト教徒、もう1人はスィク教徒 であり、お手伝いのモティさんは仏教徒。それぞれの祭日をお休みと決め、各々の宗教上最も物要りな時期にボーナスを手渡すようにしている。そして歴代12人のドライバーさんの中にはイスラム教徒やヒンドゥー教徒もおり、断食の時期にはそれなりの計らいをするようにも心がけたし、お祈りの時間も尊重するようにもした。それでも、私にとってややこしい事は何もなく、そういうものなのだ、とすんなり受けとめることができている。

カレンダーもまさに多宗教の国ならではで、それぞれの宗教・宗派においての祭日や祝日も書き込まれ、ある宗教にとっては今日は休みだけど、ほかの宗教にとっては普通の日、というのが極当たり前のように存在するが、こちらも混乱なし。

これって凄いことだと思う。あらゆるものを包括し、そしてそれぞれを認め尊重しながら、インドという1つの国の中に納まっているのだ。しかしながら、残念なことに最近度重なる爆発テロの影響で、その平和な共存状態に懸念も生じている。

 
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新聞で取り上げられていたムスリム(イスラム教徒)たちへのインタビュー記事より。

「今のインドで生きるということは、ムスリムにとって、まさに包囲攻撃状態であると感じる。」

「ムスリムである、ということが、爆発テロへの賛同者である、と認識される風潮にあり、我々の安全な生活が危うい。」

「爆発テロ発生後に、インド各地のムスリムに対する風当たりが強いことをひしひしと感じ、周囲がいつ暴走してもおかしくない状況になっており、またそういう状況をさらに悪くしているのはメディアである。」

「町を歩いていて、『ムスリムはインドから出て行け。リンチにあわせるぞ。』と言われ、恐怖を感じている。私たちムスリムだって、テロを恐れ、心から憎んでいるのに・・・」

「今、ムスリムにとっては受難の時期だと言われているけれど、私はインドに生まれたことを誇りに思っている。なぜなら、インドという国は様々な信仰を認め尊重しあいながらも、国家としては無宗教を貫いている素晴らしい国であるから。そんな国にいるのだから、私は何も恐れない。」

「ムスリムは今こそ、自分たちの信じる道を正しく進み、そして共同体としてあるべき姿を反省する時なのではないか。」

「テロリストの弾圧、という名目において、若いムスリム活動家が不当に逮捕されたり尋問を受けたりしている。これは宗教弾圧である。」

 私個人としては、イスラム教の一部の人間が卑劣なテロ行為を行ったからといって、全てのイスラム教徒が非難の目で見られることはおかしいと思うし、宗派や組織の行いを宗教団体全体の行為と捉えてしまうことは、とても危険な傾向であるとも感じる。

今回のテロ事件の被害者には、当然イスラム教徒も含まれており、悲しみや怒りは誰しもが同じだとも思うのだけど…。

歴史的にも、世界中のあちこちで、平和に一緒に暮らしていたもの同士が、偏った報道や煽動によって、お互いを憎しみあい、殺し合い、ついには分裂し内紛や紛争へと繋がった例は多々ある。どうか、今回の爆発テロがそのような悲しい事態への火種とならないよう心から祈る。

そして、外国に生活していて感じること。それは、私たち「外国人」が、幸せに平和に暮らせているのも、全て、その国の人々が温かく受け入れてくれているからこそである、ということ。何かの拍子に「外国人排斥運動」などが起こってしまえば、一溜りもなく、私たちの命は危ういものとなってしまう。奢ることなく、ここに平和に生活させてもらっていることを有難く感謝しながら生活しなければ、と改めて感じている。

[2008/09/24 00:11] | インドの新聞より | トラックバック(0) | コメント(6)
夏祭り大成功
天気が心配された夏祭り当日。子供たちがテルテル坊主を一生懸命作ったお陰か、天候にも恵まれた。・・・ところが、肝心の鉄男が発熱。でも本人は「絶対に行く!」と薬も飲んでギリギリまで眠って、何とか冷えピタを貼って参加できた。ちょっとしんどそうだったけど、夏祭り会場に着くと、一目散に櫓に駆け寄り盆踊りを踊って、忙しく出店を駆け回っていた(笑)
鉄男が一生懸命作ったテルテル坊主。晴れにしてくれてありがとう。
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夏祭り開始より2時間も遅れての到着だったので、お目当ての焼き鳥やイカ焼きなどはすでに完売。
今年は来客数も多く、1300人とか!日本人・インド人のみならず、多国籍な顔ぶれで、みんなで日本情緒溢れる祭りを楽しめるのは素敵なこと。
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チーコはヨーヨー釣りを楽しみ、綿あめを食べて喜び、夫A-さんは古本市で「掘り出し物」をゲットしてホクホク顔。ピー助は始終ご機嫌で、花火の音にも泣かず、初甚平姿で生まれて初めての夏祭りを過ごした。
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お腹にいるときからの大恩人に抱っこされるピー助。4ヶ月ぶりの再会で、すっかり大きく重くなったピー助を抱っこして、本当に嬉しそうな恩人様。ピー助も自分の恩人と分かるのか、安心しきった顔で抱かれていた。
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大人は出店の仕事に精を出し、苦労をねぎらいビール片手に談笑する。子供は忙しく駆け回ったり、かき氷や金魚すくいのお店に並んだり、とても賑やかな夜。最近テロだ爆発事件だ、と物騒な雰囲気だったので、この平和な様子が本当に貴重に感じられた。
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今回は、我がファミリー全員で浴衣・甚平での参加。私の浴衣は、もちろんナシームおじさんのお手製。夫A-さんの浴衣・帯は彼の曽祖父の使っていた物。いつかピー助や鉄男も袖を通してくれたら嬉しいなぁ…。
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日本から遠く離れたここインドで、これだけ大掛かりな夏祭りを行うのは並大抵のことではない。準備段階もいれると、本当に大変な一大行事。理事の皆様をはじめ、ボランティアで誘導係やその他いろいろお仕事をしてくださった皆様、そして各出店を頑張ったお母さんたち、練習してきた盆踊りを見事上手に踊った子供たち、本当にお疲れ様でした。また来年も楽しみましょう!!…って、いつまでインドにいるんだろう、私達??(笑)
[2008/09/22 17:15] | インド娯楽 | トラックバック(0) | コメント(5)
いよいよ夏祭り
今年もやってきました、日本人会・日本人学校の夏祭り!!子供は盆踊りの練習に励み、露店や花火を楽しみにし、大人はそれぞれに出店の準備で大忙しなこの時期。各企業やサークル、そして学校のPTAなどが、金魚すくい・イカ焼き・古本市などの出店をするので、子供達はどこで何を買い、誰と回る、など等もうワクワクは絶好調。

思い返せば、ちょうど去年の今頃も同じく夏祭り前でワクワクだったはずが、ピー助は流産の危機にさらされていて、私は夏祭りに参加できなかったのだった。流産におびえながら、疲れをためないように安静にしていた当時を振り返って、良くぞ無事に生まれてきてくれたものだ、としみじみ生命の強さを感じている。

学校の保護者はPTAの所属先委員により、白玉団子・から揚げ・古本、と出店するのだけれど、母たちは大忙しである。今年の担当は古本市。私は24時間授乳マシーンなので、店番などのお手伝いができず、裏方の作業を頂き、子供達が寝静まってから黙々と仕上げる毎日。
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各家庭から古本を提供して頂き、様々なジャンルからかなりの量が集まった。我が家からは、私の『LEE』と鉄男の『小学1年生』、そして夫A-さんの『TV BROS』などを出させて頂いた。後者は、ただのテレビガイドではなく、面白い特集が毎回組まれて、コラム欄や映画・音楽関連の情報も満載。見つけられた方、是非1冊ご購入をお勧めします(笑)

ここ最近、まだまだモンスーンの影響か、夕方の暴雨が頻発している。明日の夏祭り、広い校庭で提灯の明かりを楽しみながら盆踊りや露店に興じたいものだ。どうか、天気が良くなりますように…
「ここは日本?!」と見まごうばかりの立派な櫓や御神輿、色とりどりの浴衣・甚平に身を包んだ人々。秋突入間近のインドで、最後に納涼しませんか。
そしてインド赴任目前の皆さん、来年の今頃は夏祭りですよ、お楽しみに~!

情報として・・・
夏祭り
9月20日土曜日 17時~20時(古本市は16時半より開店)
日本人学校校庭にて。雨天決行(その場合は体育館・教室で)
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夏祭りとは関係ないけど、早いもので今日でピー助も生後5ヶ月。恒例の月齢誕生日会を祝った。明日は甚平デビューだ!
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[2008/09/19 21:46] | インド娯楽 | トラックバック(0) | コメント(0)
『はだしのゲン』インド版
ふと立ち寄った書店で、馴染みのある本を見つけた。それは『はだしのゲン』の英語訳マンガ。子供の頃から祖母の戦争体験を聞いたり、両親に連れられて『大阪大空襲写真展』などで戦争の悲惨さを見聞きしていたので、戦争を経験したことのない私も「戦争は怖いんだなぁ~」と子供心にも感じていた。小学校の修学旅行で広島に行ったときも、原爆資料館で目を覆いたくなるような映画を見たり、辛いだろうけど、今も傷跡の残る体を見せながら、被爆体験を語ってくれた人たちの姿など、思春期ということもあって、それらが強烈な印象として残り、考えるまでもなく「戦争はいけないことだ」と理解するようになっていた。
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ここ最近で戦争・紛争の恐ろしさを強く意識させられたのは、米軍のイラク侵攻のとき。ちょうどその時期、私たちはハンガリーに駐在していて、攻撃がいつ始まってもおかしくないような雰囲気の中、ハンガリー国外への渡航を禁じられ、国内のアメリカ軍基地へも近づかないよう注意を受けた。テレビでも毎日緊迫した内容のニュースが流れており、夜の真っ暗闇の中、アメリカ軍が発砲する砲弾の、不気味な白い光線の映像が侵攻の幕開けとして放映され、心底恐怖を感じた。平和な暮らしなんて、瞬時に吹き飛んでしまうんだということが、周りの空気からも察せられた。

しばらく書店で、「どんな訳をしているのかなぁ」という興味から『はだしのゲン』を立ち読みしていたのだけど、ページをめくるにつれて、これはやっぱり本腰を入れて読むべきものだし、英語の勉強にもなるだろう、とも思って購入した。

原作を何度も読んでいるので、その英訳が忠実な訳であることもわかったし、何より、訳し手である”PROJECT GEN”なるグループの決意表明が心に響いた。
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”PROJECT GEN”の代表ANAND PATWARDHAN氏の言葉。
1998年、インドとパキスタンが核実験を行ったとき、両国ともに、自国の核保有を誇らしげに賞賛し、大々的な軍事パレードを行ったりしてお祭り騒ぎをしていた。その一方で、私は感じた。戦争とは、核兵器とは、自分たち人類を破滅へと追いやるものだ、という認識を持ち、核兵器の恐ろしさを理解している人間は、ごく少数である、と。
そこで、今こそ核兵器の恐ろしさを伝えるべきであると考え、広島・長崎の原爆映画の上演会を行ったり、写真展を開催したりもした。しかし、それでも上手く伝わらなかった。何故なのか、私は大いに考え悩んだ。そして思ったのは、誰しもが戦争・核兵器に対して、「どこか遠い国の知らない人の可哀想な体験」という感覚でしか理解できていない、ということ。誰にでも起こりうることであり、我々同様、同じ血の通った人間の身に起こった話なのだ、ということを伝えるべきなのだ。
そんな時『はだしのゲン』に出会った。どこにでもいそうな腕白な少年と温かい家族。等身大の登場人物。彼らが戦争中に感じた空腹感・恐怖感、そして家族を亡くしてしまう悲惨さ。それらを伝えることが真の反戦・反核教育になる、と私は信じる。『はだしのゲン』は子供だけでなく、大人も読むべきものだ。


・・・と、こう述べている。
確かに、私が子供心に「戦争はいけない」と感じたのも、何より父、兄、周りの身近な人々が戦地に赴き、手足をもぎ取られてしまう、あるいは戦死してしまう、赤ちゃんまでもが無差別に殺されていく・・・そういったことを、強烈な絵で視覚的に印象付けられたからだと思う。
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インドと日本、離れていて共通点も少ないかもしれないけど、こうやって、『はだしのゲン』の訴えに共感し、世に広めているグループが存在する、ということは素晴らしいことだと思う。

妻が、こうやってその活動に甚く感心している一方、夫A-さんは「広島弁なんて、よく訳せたよなぁ…。」なんて全く違うことに感心していた…(汗)確かに原語では広島弁だらけ。
「ほうよ(そうだよ)」「助けてつかぁさい(助けてください)」「~じゃがなぁ(だけどなぁ)「おんどりゃぁ~(お前は~)」など等。

今後、もしインドの人に原爆のことを聞かれたら、『はだしのゲン』を貸してあげようと思う。せめても、それが世界で唯一の被爆国日本の国民である義務かもしれない。

[2008/09/16 22:30] | 買い物 | トラックバック(0) | コメント(2)
連続爆発テロ
ニュースでご存知の方も多いと思うが、先週土曜日の13日夕方、デリーの数箇所で連続爆発テロが起こった。場所はコンノート・プレース、GK-Ⅰ、カロルバーグの主要な3マーケット。実際に爆発が起こったのはその3箇所だが、不発弾がほかの場所でも発見されており、もしそれらも爆発していたら・・・と考えると震えがとまらない。
14日朝刊の第一面
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前述の3箇所は、インド人はもとより、外国人も多く集まる場所で、もちろん私たち家族も何度も足を運んだことがある。コンノート・プレースには、私の大好きなカティロールのお店や家族でも良く行くKFCがあり、GK-Ⅰにはお馴染みの美容院や可愛いカバンや靴が買えるお気に入りの店もある。そしてカロルバーグは先の2箇所とは違って、よりローカル色が強く、その活気が好きで、可愛くて安い掘り出し物を見つけに通ったこともある。それだけ生活に密着した場所とも言える。
それぞれの場所では、ゴミ箱やオートリキシャなどに仕掛けられた爆弾が爆発したようだ。
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ちょうどこの時期、日本人会関係のお仕事で、ショッピングガイドの編集のために、あちこちのマーケットを歩いてはお店を調査しているお友達も多く、私にとっても本当に身近な場所なのだ。たまたま翌日の日曜は日本人学校の登校日で、「早く寝ないと・・・」ってことで外出もしていない家族が多かっただろうけど、そうでなくて「外で食事しようか」なんてことだったら被害にあっていても不思議ではないほど、日本人にも馴染みのある場所。

幸い今回は、日本人の被害は出ていないということだけれど、インド人・日本人など国籍関係なく、このような出来事に巻き込まれてしまう可能性を思うと鳥肌が立つ…。
不幸にも巻き込まれて怪我をしたり、亡くなられた方々のことを考えると、「他人事ではないのだ」と身近に恐怖を感じる。実際、我が家のお手伝いモティさんの親戚がGK-Ⅰで働いており、「携帯が繋がらない!!」と顔色を変えていた。

インドに家族や知人がいる人にとっては、不安も大きいことと思う。100%大丈夫だ、とは言えないのが残念だけど、私たち在印邦人は、会社や日本人会を通じて、テロ予告や暴動情報などの危険情報がすぐに届き、日頃から注意を促されており、情報が全く入ってこない状況にいるわけではないので、その点はご安心ください。
「大丈夫?」と心配してメールを下さった皆様、今回私たちは被害に遭っていないので大丈夫です。

それにしても、去年11月にウッタルプラデーシュ州で、そして今年5月には「風の宮殿」などで有名な観光地ジャイプールで、7月にはバンガロールとグジャラートで連続爆破テロが起こっている。そして今回のデリー。これ以上、このような無差別殺人が起こらないことを心から祈るばかりだ…。
[2008/09/15 00:10] | インドの苦労 | トラックバック(0) | コメント(11)
日本最終日&機内
一時帰国では毎回のことだけど、インドに戻る前日には成田のホテルに前泊。そして、最後の悪足掻き的な最終買出し。今回も成田のジャスコにて、買えるだけの納豆・魚介類・パン、そして最近定番に加わった「日本のキュウリ」を買い込んだ。インドのキュウリは太くてカリッという歯ごたえがあまりないので、生で野菜スティックにするには日本のキュウリが最適。5本買ってきたけど、見る見る間に子供たちの口に消えていった。なんとも嬉しい限りである。

最終買出しが終わったら、今度は心置きなくお寿司を食べる。回転寿司だけど、親も子供達も、食べ損じて後悔することがないように、凄い勢いでじゃんじゃん頼む(笑)
「すみませ~ん、サビ抜きでイクラとウニと海老とホタテと…省略…お願いしま~す!!」
ちなみに私は刺激物が苦手なので、いつでもサビ抜き。
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出発日の朝も、敢えてホテルのレストランでは食べずに、それぞれが最後に食べたいもの、例えば私の場合、フレッシュな(冷凍保存していない)メロンパン・ぷっちんプリン・ピルクル・フルーツたっぷりヨーグルトなどを前夜に買っておいて、部屋でのんびり食べる。食べ終えたら子供はテレビ、親は最終荷造り。マジックとガムテープはいつも携帯(笑)

機内食は、「インド→日本便」では、いち早く母国を感じたいがため和食を、そして「日本→インド便」では「最後に牛肉を!」ということでフィレステーキを頼む。
JALの機内食のフィレステーキ、分厚いしジューシーだしかなりお勧め!
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食べるだけ食べて、後は到着までひたすら眠る。戻ってくる時は、体調も回復していたので、ピー助も激しく愚図ることもなく、バシネット内で大人しく眠ってくれていた。ちなみにバシネットは10キロ以内の幼児になら、チケット予約時に頼めば使えるように申し送りしておいてくれるので、赤ちゃん連れにはお勧め。
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鉄男は一人でもパネル操作できる年齢になったので、ひたすら映画を見たり、ゲームをしたり、騒ぐことなく過ごしてくれる。チーコはディズニーチャンネルがお気に入り。
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デリー上空になると、機内の温度も上がり、一気にインドの我が家が恋しくなり、これまた「帰ってきた~」という気分になる。そして、空港へ迎えに来てくれているドライバーさんたちの馴染みの顔を見て、思わず笑顔がこぼれホッとする。「これからまたインド生活頑張るぞ~!」とフル充電され満たされた心身に誓うのだった。
毎回がこんな感じだけど、母国をありがたく感じ、戻ってくるたびにインドをより好きになっている自分を感じる。そう思えるのも、日本でリフレッシュできたお陰。次回の一時帰国まで、家族みんな健康第一で頑張るぞ~。
[2008/09/12 09:10] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2)
1年ぶりの我が家
今回の一時帰国で、1年ぶりに静岡の我が家に戻った。久しぶりの我が家。インドから戻ったら、さぞかし「狭いなぁ・・・」と感じるだろうと思っていたけど、どの部屋にいても子供の声が聞こえ、掃除するにも広すぎないちょうど良さ。「このコンパクトさが我が家にはちょうど良いなぁ」とも思った。

私たちがインドで生活する間、この留守宅は警備会社に管理を頼んであり、月に一度の清掃・換気・草むしりなどをお願いしている。もちろん、侵入などの異常が発生すれば警備員さんがすぐに見回りに来てくれるので、そういう面でも安心。…といっても、盗まれて困るようなものは何も置いていないんだけどね(汗)
毎月、掃除・草むしりなどのbefore/afterを撮影して送ってくれるので、離れていても我が家の様子がわかるので、とても有難い。
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1年ぶりの帰宅にもかかわらず、ご近所の皆さんは、変わらぬ笑顔で暖かく迎えてくれて、「今回はいつまでいるの??」「2泊3日です・・・」「え~、またすぐ行っちゃうのね。寂しいわ~。」と言って下さり、初対面のピー助を抱っこして喜んでくださったり、子供たちも1年ぶりというのに、いつも遊んでいるかのように鉄男とチーコを遊びに誘ってくれた。ご近所に同年代の子供も多く、素敵な人々に恵まれ、縁あってこの土地に家を構えられたことを幸せに思う。

インドに持ち帰る荷物の荷造りと、空港への事前配達などで、忙しくバタバタ過ごす私たちを気遣って、「お昼ご飯食べないといけないでしょ。うちに食べにおいでよ。」と言ってくれた近所のお友達。ご好意に甘えて行くと、テーブルの上いっぱいに並んだ日本の家庭料理!
「あ~、冷奴!お漬物!ぬた和え!てんぷら~!凄い、すごい。食べたかったものばっかり!!」と手を叩いて喜ぶ私に「でしょでしょ、やっぱり、こういうものが食べたいだろうなぁと思ってね!」とニッコリ微笑む友人たち。もう、涙がこぼれるほどにその気持ちが有難く、本当に幸せなランチだった。

更に、「ピー助の誕生祝に」とケーキを用意して、「ハッピバースデートゥユー♪」と突然大合唱してくれたのには、もう感激した・・・(涙)
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「我が家」とは言っても、普段は住んでいないので、調味料も鍋も何もなくて、何かと不便な状態。お茶も入れられないし、ゴミも出せない…。「インドに戻る前に、もっと冷奴を食べておきたいなぁ・・・」とこぼせば、美味しい豆腐をくれたり、お醤油まで貸してくれるご近所の優しい人たち。

普段は「まだまだインド生活続いても良いよ~」なんて言っている私だけど、久しぶりの我が家と、ご近所さんとのふれあいに、「早く落ち着いて、どっしりと日本のこの家で生活したいね。」と夫A-さんとも話した。A-さんなんて、家を建てている間からインドと日本を行き来して、やっと完成した我が家に3ヶ月も住んでいないのだからなおさらだろう。子供たちも、庭で走り回り、草いじりや虫を見つけたり、階段をただ上ったり降りたりと「我が家」を楽しんでいた。
「やっぱり、我が家は良いねぇ~」などと言いながら、オヤジのようにくつろぐ鉄男(ちなみにこのソファカバーはインドで作って、今回持ち帰って合わせたもの。日本でオーダーとなると高いですから…)
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私たちの本帰国がいつになるのかは未定だけど、帰りを待ってくれている我が家とご近所さんたちの存在はとても有難い。みなさ~ん、また美味しいインドコーヒーとカレーパウダーやアーユルヴェーダ商品など等のお土産を背負って帰るから、また遊んでね~!!
[2008/09/10 16:26] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2)
不幸中の幸い?
一時帰国の終盤、広島から自宅のある静岡に向かう途中、集中豪雨により新幹線のダイヤが大きく乱れた。私たちの乗っていた新幹線も運転見送りで、名古屋より先へは進めなくなってしまったので、これも滅多にない機会だし、ということで、途中下車して名古屋観光することにした。向かった先は、子供たちにとってはある意味「聖地」でもある「ポケモンセンター」の名古屋店。
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「ポケモン大好きクラブ」というサイトの会員でもある鉄男は、流石によく知っており、「ポケモンセンター名古屋店は別の場所に引っ越ししたんだよ」と言う。観光案内所で引っ越し先を教えてもらって、名古屋観光開始。名古屋のテレビ塔
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タクシーに乗るといきなり、「ありがとうございます。私運転手は、○○会社の○○と申します。よろしくお願いいたします」とのご丁寧な挨拶!!かなり驚いた。鉄男も子供ながらに驚いたようで、「凄いね~。日本のタクシーは丁寧だね~。」と感嘆の声をあげていた。そりゃぁそうだよなぁ。インドでリキシャ等に乗る時、必ず「○○まで40Rsで行ってくれる??」「嫌だ、そんなの無理。60Rsなら行ってやる。」「え~、そんなの高い。じゃぁ、要らない。」「あっそう。」そして他へ行ってまた交渉…というのを繰り返す母の姿を見てきた彼にとっては、値段交渉もなく、向こうから直々に丁寧な挨拶をされて、メーターも言わずともスタートされていることは、驚きであっただろう(笑)私も日本のサービス業の丁寧さに久々にビビったし…完全に浦島太郎状態だ。

夏休みの終わりに近づき、宿題が終わったご褒美なのか、お爺ちゃん・お婆ちゃんからお小遣いを貰ったのか、ポケモンセンターの店内は子供たちで一杯!!「好きなもの、2個、選んで良いよ。」との夫A-さんの言葉に、子供たちは真剣な眼差しで選んでいた。
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私は今回初めて知ったのだけど、「ポケモンバトリオ」というのが流行っているらしく、鉄男も夢中になっている。子供というのは、好きなことは際限なくやりたがるものであるが、我が家の決まりは「行った先でゲームは1回だけ」。ピカチュウに乗ってご機嫌のチーコ
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ポケモンセンターで好きなグッズをゲットして、子供達もご満悦。ちょうど近くの大通りで恒例の夏祭りが開催されており、懐かしいイカ焼きや、金魚すくい、ベビーカステラなどの露店をクンクン鼻を鳴らしながら通り抜け、名古屋名物の手羽先とういろう、そして名古屋名物の駅弁などを買って名古屋を後にしたのだった。

運航はまだ完全復旧ではなく、私たちが名古屋から乗った新幹線も途中で運転見送りになって止まってしまったけど、車中も美味しい駅弁を親子で食べ、日本滞在の思い出を語り、鉄男とチーコは買ってもらったばかりのポケモンフィギュアでバトルごっこを楽しみ、退屈もせずに過ごせた。
まったりと初新幹線を満喫するピー助
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1分や2分の遅れでも一大事のように大騒ぎの日本。「昨日」と「明日」が同じ単語(’KAL’)であり、「1日で出来る」と言われながら、結局何か月も待たねばならないようなインドでは、1時間、2時間の遅れなんて日常茶飯事である。お陰で、待たされることに対してイライラすることもなくなっている。これも日々の修業の賜物だ(笑)
新幹線運航見送りの不幸の中の、名古屋観光の幸い。そして、インドの時間厳守でない不幸の中の、時間に縛られなくなった幸い。インドでの生活は、確実に私たちを成長させてくれている。
[2008/09/08 15:08] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(5)
涼しい夏
ずっと日本で過ごしていらっしゃる方には、「そんなことないよ!」と言われそうですが、一時帰国して飛行機を降りた瞬間に感じたのは「あぁ、涼しい~!」だった。気温40度の熱風・熱線のインドからなので、機内のNHKニュースで「今日の最高気温は34度。かなり暑くなりますのでご注意ください」なんていうセリフも「何をおっしゃる…」とこぼしてしまった。

ちょうど私たちが一時帰国していた2週間ほどの間に、一気に日本も夏の終わりを迎えたようで、大阪の実家で寝る時もクーラー要らずで、窓を開けていれば夜風が気持ちよく、風鈴の涼音がこれまた「日本の夏」と風情もあって、「あぁ、自分は今日本にいるんだなぁ」としみじみ感じ入ってしまった。
ちょっと和室でゴロリと転がって、窓を開けていれば心地よい涼しい風が入ってきて、いつの間にか眠ってしまうほどの快適さ。

夫の実家は中国山地にあるので、大阪よりもさらに涼しくて、最低気温は20度以下。目にも涼しいアジサイが美しく咲いていて、夜も長袖パジャマ&タオルケットをしっかりかぶって眠ったほど。
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広島の方の実家は、自宅を留守には出来ないので、ピー助を見にインドに来てもらうこともできず、今回ピー助を連れて帰っての初対面となった。祖父・祖母・曾祖母も新顔の孫との対面を喜び、成長した鉄男・チーコの兄姉ぶりに目を細め、心から喜んでくれた。その喜ぶ顔を見られただけでも、里帰りして本当に良かったと思えた。

大阪では「お食い初め&還暦祝い」だったけど、広島では「お食い初め&義母の古希(70歳)祝い」のお泊まり会をした。これまた撮影を忘れてしまうほど夢中で食い付いてしまった豪華な食事と、山に囲まれた静かな温泉、久しぶりの家族の団らん。
普段意識はしていなかったけど、海外生活の疲れは無意識のうちに溜まっているようで、それらの疲れの元となるものが皆無である中、心から解放され、精神は癒され、身体は御馳走で満たされ(笑)、とても素敵な時間が過ごせた。
御馳走を食べ終え、とろけそうな我がファミリー。
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温泉で体の芯から温まり、夜風に当たろうと鉄男以外の4人で散歩に出た。鈴虫・松虫などの鳴き声が耳に涼しく、それ以外の声は何も聞こえない、と言いたいところだが…
ばあちゃんっ子の鉄男は、隣のばあちゃんたちの部屋で寝ることにしており、ご機嫌で大はしゃぎの鉄男の声が部屋から丸聞こえで、静かな中国山地にこだましていた…(汗)
常日頃からダジャレが好きで『オシャレなダジャレ』なる本を愛読している鉄男。山間に響くのは「トイレ行っといれ~」「蚊が血を吸って、あ~おいち~」「ガハハハハハハ~~(激しいオヤジ笑い)」
涼しいを通り越して、なんと寒い夜であったか…

束の間ではあったけど、灼熱のインドの夏を脱出し、涼しい日本の夏を満喫できたことはとても有難かった。インドは只今セカンドサマーの真っただ中。毎日茹だるような暑さで、しかもモンスーンの到来が早かったため、蚊の大量発生によりデング熱が大流行…。しっかり虫避け対策しなければ。ちなみに、デングの媒体となる蚊は、体も小さめで低空飛行しかできないので、狙われるのは足元。みなさん、靴下や虫よけスプレーなどでしっかりガードしてくださいね。
あぁ、涼しかった中国山地が恋しい~
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[2008/09/04 22:30] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(4)
お食い初め
インド生まれの我が家の次男坊・ピー助、今回が初めての日本となった。以前のバンコク旅行のフライトは平穏だったものの、今回の日本行きの機内では、すさまじかった…(汗)それもそのはず、フライト前日に熱が下がって発疹が出て、突発性発疹が確認できたばかりだったので、まだ病気も治りきらないうちの長時間フライトは、大人でもキツイのだから、生後4か月の赤ん坊には辛過ぎただろう。オッパイあげてもオムツ替えても、火がついたように泣きじゃくり、同乗の周りの皆さんには多大なる迷惑をかけてしまった…。日本についてすぐ、小児科を受診して、風邪薬を処方してもらい、やっと体調も落ち着いたので、日本滞在中は無事に過ごすことができた。

私の両親は、ピー助出産後に既にインドに来てピー助を見ていたけど、妹たちや夫の両親はじめ親戚・周りのお友達には紹介できていなかったので、この機会にピー助のお披露目とお食い初めをすることにしていた。それから、実家の母の還暦祝いを誕生日には出来なかったので、遅ればせながら還暦祝いも一緒にさせてもらった。出産祝いに頂いた着物
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「『鯛のタイ』が見てみたい」という鉄男の強い希望で、タイの尾頭付きも用意してもらって御馳走だらけ。しかし、ピー助本人は飲まず食わずで傍観するだけ…(笑)オッパイはきっと普段と違って御馳走の味がしたはず?!
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インド帰りの私たち一家が御馳走を食べる口実のようなお食い初め会だったけど、やっぱりこうやってきちんと成長を祝う儀式的なものは行っておけて良かった。
一応ポーズだけ食べる真似。「一生食べることには困りませんように…」
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今回のお食い初め・還暦祝いの会をお願いしたのは、私が学生時代にアルバイトしていた日本料理屋の大将が独立されたお店『赤心』。粋な盛り付けと新鮮な食材をふんだんに使い、素材の良さを活かした調理法で提供してくれ、しかもお手頃なお値段、という素晴らしさ。大好きなヨコワのお刺身や鱧のしゃぶしゃぶ等など、どれもこれも最高のお味。あぁ、幸せ~。
大将の計らいでピー助用に盛りつけられたお膳。
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鉄男・チーコも久しぶりに会う、妹夫婦「おじ・おば」にじゃれて始終ご機嫌。一段とパワーアップした子供たちの激しさに妹夫婦は疲れたのではないだろうか…(汗)
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ピー助は最後まで愚図ることもなく、無事お食い初めも終了。鉄男は念願の「鯛のタイ(鯛の兜辺りにあるタイの形をした骨)」をゲットしてご満悦。ここ2か月ほどずっと「鯛のタイ」に興味津々だったので、ちゃんと納得させてあげられて親としてもホッと一安心(笑)でもそれ以降も、魚を食べるたびに「これはなんていう魚?」「サンマ」「じゃぁ、サンマのさんま取って~」とくるので、まだまだ彼の中のブームは去っていないようだ。「鰆のサワラ」「鯵のあじ」「ホッケのほっけ」など等…(笑)そんなんあるんかいな??
ゲットした「鯛のタイ」 ねっ、何となく魚の形に見えるでしょ??
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懐かしい大将の作ってくれた御馳走に舌鼓を打ち、何より、家族みんなが大集合して、楽しい食事の席がもてたこと、とても嬉しかった。
[2008/09/02 12:30] | 子育て | トラックバック(0) | コメント(3)
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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