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アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
夏休み
インドの学校は今が夏休みの時期だ。鉄男の通う日本人学校も先週から約1ヶ月半にわたる夏休みに入り、お友達の多くは一時帰国。我が家はこの時期、毎年インド残留組である。去年までは、前半は母子でインド国内旅行、後半は家族で旅行していたのだけど、今年は何といっても、ピー助がまだ生後1か月であるから無茶は出来ない。
どこかに行きたくても、まずピー助のパスポートやビザがないのだから、どこへも行けない。インド国内のホテルでは、法律で外国人の宿泊客に対してパスポートの提示が義務付けられている。よって、国内のホテルにも泊まれない…
インド国外旅行なんてなおさら無理だ。

ちなみにインドで生まれたピー助の場合、以下の手順を踏まねばいけない。
①在インド日本大使館にて出生届を提出
②①の出生届が本国に届き次第、戸籍登録が行われる
③日本から戸籍謄本を取り寄せる
④戸籍謄本をもって、在外大使館にてパスポート申請
⑤パスポートができたらインドのビザの発行手続き

出生届は生後3か月以内に在外大使館に届ければよい、ということになっており、我が家は2週間以内に提出したけど、まだ本国での戸籍登録はなされていない状態である。
大使館に「旅行したいから特別なパスポートを発行できませんか?」と問い合わせてみたけど、やっぱり駄目で、「急病や本帰国、やむを得ない理由での海外渡航のためになら、片道パスポートのようなものを一時的に発行できるが、それ以外ではダメ」ということであった。

長い夏休み、鉄男とチーコがもてあますだろうと心配していたけど、今回、ピー助はインドで生まれたため、日本の親戚は誰もまだピー助を見ていない、ということで、私の両親がピー助に会いにやってきた。日本のお菓子、菓子パン、オムツなど一杯の荷物とともに。
お土産の私の大好物「大阪みたらし」。団子の中にみたらしのたれがトロリと入っている。
DSC05104.jpg

毎日、鉄男もチーコも、ババに本を読んでもらったり、一緒に宿題をしたり、絵を描いたり、まったりと生活している。今までピー助とゆっくり過ごす時間もなかったけど、今は泣けばガラガラを振ってあやしたりと新しい兄弟の関わりもできているのも嬉しい。
DSC05112.jpg

だらけがちで、「宿題やったの?」「テレビばっかり見ないよ!」などなど、ついつい口うるさくなってしまう長期休み。私も鉄男だけに夏休みの約束をさせるのはどうか、と思い、鉄男と一緒に夏休みの約束を紙に書いて張り付けてある。
「鉄男の約束」
①朝のうちに宿題を済ませる(夕方になると疲れて泣きながら宿題をするので…)
②お母さんの言うことを聞く(お父さんの言うことは聞かなくてもいいのか…??)
③ウロウロしながら食べない(いつも食べこぼして怒られている)
それにしても全て基本的なことのような気もするけど…

私の約束事は…
①薬を毎日飲む(貧血気味なので鉄分とカルシウム錠剤)
②ピー助のために食事をきちんと取り、美味しいオッパイを作る
③一日一冊本を読んであげる
④子供と一緒におやつを作る
おかげで今のところ、なんとか毎日楽しく過ごせている。
白玉団子を作る子どもたち 「ミミズ団子」「雪だるま団子」等など、殆ど粘土遊び(笑)
DSC05087.jpg

このまま平穏に夏休みが過ごせますように。そして、ピー助のパスポートが出来て、早くどこかに家族旅行したいなぁ。




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[2008/05/29 18:00] | 子育て | トラックバック(0) | コメント(2)
出産回顧録その2~誕生!~
さて、前回に続き…いよいよ手術室です。
ちなみに、画像は全て見学時に撮影していたものか、夫A-さんから借用したものです。いざ本番で、撮影の余裕なんて全くありませんから…(汗)

夫A-さんと言葉を交わす間もなく、一人ストレッチャーに乗せられて手術室に入った私。ひんやりした手術室。病院見学の時に見せてもらっていた「帝王切開用の部屋」なのに、不安でドキドキ、恐怖心で体はブルブル震える。
以前見学したときは冷静に見られた帝王切開の手術室。本番は冷静どころじゃない…(涙)DSC03381.jpg


病院スタッフさんのヒンディー語や英語が飛び交う中、不安で押しつぶされそうになる私。麻酔担当医師が脊椎麻酔をかけるからと、背中を曲げるように指示。4年前、この麻酔が怖くて痛かった思い出がよみがえり、背中を指示通りやわらかく曲げられない。
麻酔医師は優しく話しかけ「僕みたいに、こうやってみて」とお手本を見せてくれ、ぎこちなく真似てみる。そして針が刺さる。チクッとして、すぐに感覚がなくなり、あとは痺れが切れた時みたいに、自分の体が自分のものじゃないような不思議な感覚。

「ハロー!○○(私の名前)。いよいよベビーに会えるわね!」と準備を終えた担当医師が元気よく到着し、体にもカバーが掛けられて手術開始。
手術台に横たわる私には、天井の反射板に自分の白々とした腹部が鏡のように映っているのが怖くて、「先生、天井に映っているのが見えて怖いから、何も見えないように顔にもカバーをしてください」とお願い。自分のものでも他人のものでも、血とか傷とかは大の苦手…。
とにかく恐怖心で体が震え、歯もカチカチ音をたててしまう。そんな私の頭側で、ずっと優しく声をかけてくれた麻酔医師。「大丈夫だよ。何も感じないだろ?そのうちすぐに赤ちゃんの声が聞けるよ。」「3人目の子供なんだってね。上の子供たちの名前はなんていうの?どんな意味?」「インドに住んで何年たつの?」などなど。お喋りしているうちに緊張もほぐれて、呼吸も自然にできるようになった。

腹部にひんやり消毒液がかけられる冷たい感覚。そして、いよいよメスが当てられて開腹されている感触。カチャカチャと手術用具の音がする…

帝王切開だけでなく、開腹手術ってみんなそんなもんなんだろうけど、痛みはないけど、引っ張られたり、触られたりしている皮膚感覚だけがある状態っていうのは慣れなくて嫌なものだ。
「あぁ、今一番上の皮膚が切られたんだろうなぁ。おっ、次は脂肪層が開かれた。」など想像できるのもまた怖い…
そんなことを考えていると、手術開始から30分くらいたった頃に先生が言った。
「さぁ、ベビーが出てくるわよ~!」
「フギャ~!オギャ~、オギャ~!!」

ホッとしたけどやはり不安なもので、次に口から出たのは「先生、赤ちゃんは大丈夫?手足はちゃんとありますか?元気そうですか?」
「えぇ、えぇ。立派な体の息子さんよ。ほら見てみなさい!」
そして目の前に差し出された我が子。大きな声で泣きながら、手足をバタバタさせて元気に動き回っている。「あぁ、良かった、良かった。本当によかった。サンキュウ!」と涙が溢れて止まらない。不安でたまらなかったこの10ヶ月間の苦労が、綺麗さっぱり全て洗い流され報われる瞬間。本当に生命の不思議さや有難さを感じられる瞬間。

担当医師が言った。「早く切って良かったわよ。だって、前の帝王切開の傷が裂けかけて血が滲んでいたもの。もうちょっと遅かったら危なかったわね。」と。
子宮破裂なんてしていたら、手術も長引き体力もなくなるし、輸血もしなければならなかったはず。インド人的B型になるかも~、なんて笑い事じゃなかったのだ(汗)
そうかぁ、2週間早いと思っていたけど、スイカ君はそれを知ってか、破水を起こし早く出てきてくれたのだ。そう考えると、生まれたばかりのわが子に命を救われたような気持にもなった。

産声を聞いて姿を見たら麻酔で眠らせるよ、と言われていたとおり、気がつけば病室のベッドの上だった。夫A-さんと、深夜にもかかわらず駆けつけてくれた通訳のキラーンさんがベッド横にいてくれ微笑みかけてくれた。
「よく頑張ったね。赤ちゃん、可愛いねぇ。さっき見てきたよ。」
「無事生まれてくれて、私もホッとしました。本当に頑張りましたね。ゆっくり休んで下さいね。」
と温かい言葉を受けながら、無事出産が終わったことに心から感謝した。
新生児室のベッドで眠る産後すぐのピー助
R0011083.jpg

同じく帝王切開で生まれたチーコの時に感じた、術後の麻酔が切れていく地獄のような腹部の痛みは、今回は鎮痛剤で抑えられているようで、そんなひどい地獄の痛みを味わうこともなかった。
母子同室が原則なので、早速ピー助が部屋に連れられてきたけど、如何せん動けないし体の感覚もはっきりしないので、一晩新生児室で預かってもらって、まずは体を休めさせてもらうことにした。
無事出産を終えた安堵感と、とうとう赤ちゃんが生まれたんだ!、という興奮に包まれ、なかなか熟睡できなかった。

そして、次の日から始まるインドでの入院生活。どんな食事にどんな生活なのか??
それは続・入院日記で…

[2008/05/25 21:36] | インドでの出産日記 | トラックバック(0) | コメント(4)
出産回顧録その1~いよいよ「その日」~

今までは取り急ぎの無事出産報告しかしていなかったので、回顧録にはなりますが「インド出産レポート」を書いていきたいと思います。


日本への一時帰国から戻って来て、インドの担当医師と出産に向けて最終の詰めをすることになった。まず出産を最終的にここの病院に決めること、そして、入院部屋の希望ランクに応じた前払い金を納めること、帝王切開か、普通分娩か、その手順の説明など。

最終的に本当に普通分娩が可能なのか、超音波検査でスイカ君の体の位置(逆子かそうでないか、骨盤との直径の関係)や頭の向き(回旋異常を避けるため)を調べることになった。
その結果、なんと、4年前にチーコを帝王切開で出産した時の傷が、普通分娩に耐えうる厚さまでには回復していない、と判明した。つまり、普通分娩すると子宮破裂したりする恐れがある、とのことで、
急遽、「陣痛が来てしまう前に切りましょう!!」ということになった。

「出来れば無痛分娩で!」と思っていた私は、4年前の帝王切開が思い出されたり、輸血の可能性などを考えて一気に不安になった。インド人はB型が圧倒的に多い国民らしい。私もB型だからそれはありがたいけど、よりマイペースでさらに楽観的なインド的B型人間になるのかなぁ、とか馬鹿なことも考えたり…(汗)

そして帝王切開を4月22日にしましょう、と決まったその夜。
出産が予定通りにいくというケースの方が珍しいだろうけど、まさに「その日」は突然やってきた。
夜、家族で夕飯を食べ終え、子供達も風呂からあがり、「さぁ、寝ようか」という時に、お腹が張る感覚があった。計ってみると20分間隔。「ひえぇ~、来たかも!!病院行かな!」と急いで医師に連絡したり準備している間にも、今度は破水!ジャバァ~と羊水が漏れてきた。
「急いで行くぞ~!パジャマ詰めて!パンツも歯ブラシも持った?!」と、以前からお願いしていたお友達のお宅にお世話になるため、急いで荷造りをさせる。(前もってしておけっ!、て感じですが…)

鉄男は「いつスイカ君に会える?明日の朝?」とワクワク興奮状態。
ドライバーは既に帰っていたので、急いでタクシーを呼んで、まずはお友達のお宅で子供を下し、病院へ。チー子はわけもわかっていない様子だったけど、鉄男は「お腹を切るお母さんも心配だけど、小さな小さなスイカ君は大丈夫かなぁ」と心配してくれ、最後まで「お母さん頑張って!!頑張ってね。応援してるよ」と声をかけてくれた。

二人になって、タクシーの中で夫A‐さんに話した。
「私は今回、生まれて初めての海外出産でかなりの掛けをしてる。命もかけてる。だから、インドで頑張って産んだ証に、インドにちなんだ名前は絶対に譲れない。漢字は任すから、音は○○○(「孔雀」)で決めてね!」
「わかったよ。○○○にしよう。だから頑張って産んでよ。大丈夫だよ。」と夫A-さん。

病院について、まずはアレルギー反応血液検査をし、着替えたり、点滴の血管を確保したりと、手際よく着々と準備が進められる。「先生は来るの?」「いまこちらに向かっているよ、安心して!」と。
腕に刺されたアレルギーチェック注射と、人の腕なのに許可もなく、ペンで書き込んでしまうのがインドらしくて笑ってしまう。
DSC05051.jpg

横で夫A-さんは、帝王切開の承諾書や色々な書類にサインしている。通訳のキラーンさんも来てくれることになり、色々と電話連絡などが入っている間に、いよいよストレッチャーに乗せられて連れて行かれてしまった…。
「えぇぇ~、待って~!ハズバンドは?通訳は?」「もう待てないから!」と、手術前にちゃんとA-さんと言葉を交わす間もなく手術室へ連れ去られて行く私…
「あぁ。一人だ…。ここからは自分一人で初の海外出産に挑むんだ。それしかないんだ。」とあきらめのような腹をくくるような、そんな気持ちで一杯だった。もうなるようにしかならない。

さぁ、いよいよ手術室へ。何が起こったか、続きは次回。
[2008/05/22 14:16] | インドでの出産日記 | トラックバック(0) | コメント(6)
早いもので…
かなりご無沙汰しておりました。久しぶりの更新です。更新のない間も、お祝いメールや産後を気遣うメールをくださった皆様、励まし・ご心配、どうもありがとうございました。各コメントへの返事もなかなかできず申し訳ありません。
もうしばらくゆっくりペースが続くと思いますが、お許しください…

早いもので、ピー助が生まれてから、今日でもう1か月が経つ。あっという間のひと月だった。入院・退院・傷の消毒のための毎日の通院・再縫合・抜糸、そして、4年ぶりに「母乳マシーン」と化しているオッパイ生活のひと月。この間に祝うべきイベントの私の誕生日・結婚記念日は家族にはすっかり忘れ去られていたのだった。
そんな中、仲良しのお友達が持ってきてくれた手作りバースデーケーキと花束は、とても有難かった。
ありがとうHちゃん!
DSC05021.jpg

ピー助の夜昼関係ない生活リズムに振り回され寝不足になりながらも、赤ちゃんの温もりや愛おしい体の重さに幸せを感じ、ピー助の一挙一動に「可愛いなぁ~」と目じりを下げっぱなしである。
腕の中で眠りこけるピー助
DSC05025.jpg

お腹の傷の痛みで体の自由が利かないし、どうしてもピー助のお世話で手一杯な母を見て、鉄男とチー子には寂しい思いをさせてしまっているかもしれない…でも、二人はこの短いひと月の間にもお兄ちゃん・お姉ちゃんらしく成長してくれている。

今まで隣で寄り添って寝ていたチーコも、自分の寝癖の悪さからお腹キックしてしまうことを恐れ、「お母さんのお腹の傷が治るまで、離れて寝るね。治ったら隣で寝てね。」と我慢してくれたり、ピー助のおむつを持ってきてくれたり、あやしてくれたりと甲斐甲斐しく手伝ってくれる。

毎日、学校から帰宅するやいなや「ピー助は??」とピー助の元へまっしぐらな鉄男は、母の日のお手紙に「可愛い赤ちゃんを産んでくれてありがとう。優しくしてくれてありがとう。傷が治ったら一緒に寝ようね」と書いてくれていた。
二人とも幼いながらも、母の体を気遣い、弟の誕生を喜び、自分で出来ることは自分でしようと努力し始めてくれている。いじらしいものだ。

夫A-さんは流石3人目で慣れたもので、オムツもすすんで替えてくれるし、夜泣きのときは抱っこしてあやし、ゲップをさせるのは私よりも上手。とても頼れるパパさんだ。
ピー助をゲップさせるA-さん
DSC04989.jpg

私の体のことも気遣ってくれて、事あるごとに「無理しないでよ」と言っては、休日なども自ら台所に立って、素麺やうどんを作ってくれたりもする。
本当に、家族5人、助け合って生活しているんだと感じられ、それがまた何とも嬉しい。家族のありがたみをひしひしと感じている。

そして何より、周りのみなさんの優しさに本当に感謝している。私が休めるように、と鉄男とチー子を遊ばせてくれたり、お泊まり会に誘ってくれたり、サッカークラブに連れて行ってくれたり、送り迎えをしてくれたり。いろんな方が「何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってよ!」と声をかけてくださり、ピー助誕生を自分のことのように喜んでくださり、お祝いの花束やカード・プレゼントなどを贈ってくださったり。
ピー助を抱っこしてくれるお友達
DSC05056.jpg

もし周りの皆さんの協力や励ましがなければ、きっとこの1か月は悲惨なものになっていたに違いない。今はまだ無理は出来ないし、皆さんのご厚意に甘えさせていただくしかできないけれど、回復したら、誠心誠意を籠めて恩返ししたいと思う。
海外駐在生活、何といっても、周りの方々の心遣いや親切が一番心に染みてありがたい。

皆様のおかげで、私の体調も回復に向かい、ピー助も誕生1か月を迎えることができました。心から感謝します。どうぞこれからも我が一家を温かく見守ってください。
初めての5人家族ショット
DSC05047.jpg

[2008/05/19 11:00] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8)
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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