アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
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異文化適応モデル
以前の日記で宣言させていただいたとおり、今は日本語教育能力検定合格をめざして細々と勉強している。
そのテキストの中に興味深い項目があったのでご紹介を…

日本語教師は日本語を母語としない人たちに日本語を教えるわけであって、学習者がどのように外国語を理解し受け入れていくのか、という理解の段階や構造、そして心理的な働きなども知っておかねばならない、とされている。
そこで触れられている「異文化理解と心理」の項目で「なるほど!!」と思わず感嘆の声を挙げたことに『異文化適応モデルのU型曲線』と言うのがある。
なんのこっちゃ???というと…

異文化の中に入って生活する中で、カルチャーショックを受けた人の満足度をグラフに表すと、最初は異文化に対する満足度が高いが、次第に低くなり、その後再び上昇するので、Uカーブを描く、というもの。

なるほど、なるほど、確かにその通りである。といっても、私個人的な経験であるから、皆さんに当てはまるとは言えないのだけど、こうして学問上の定義があるほどだし、海外で生活する多くの人を見ていてもそれが当てはまる場合が多いと思う。
「インドで生活し、私は一体どうなるの??」という不安を抱える人は少なくないはず。そんな時に、こういう流れで異文化に適応していく人が多いですよ、というモデルがあれば、なんとなく安心できるのではないだろうか。


まず第一段階の異文化に対する満足度が上昇する、ということ。
生まれ育ち慣れ親しんだ土地を離れ、海外で生活する際、「水はどうだろう?」「言葉の問題は?」「買い物とか出来るかしら?」「友達できるかな?」…などなど疑問や不安は尽きない。

でも、一度新しい土地に足を下ろしてみると、想像していたほどに悪くはなく、意外と生活できることに前向きになる。そして、衣食住、全てが日本と大きく異なることに刺激を受け、新しい状況を受け入れようと努力し、刺激だらけの中「もっともっと知りたい!」と積極的に異文化理解に働きかける。
「わぁ、凄い!」「お友達もどんどん出来た!」「ブロークンな英語でもなんとか通じた!」「わぁ、面白い!」と満足度は急上昇するわけである。

白昼堂々のバイクの3人乗りに驚きカメラを抱えたり…
DSCN2986 (2)

こんな不細工な遊具まで「なんてインドチック~!素敵!」と踊らされるほどに、異文化刺激で冷静な目は失われている(笑)
DSCN0929 (2)


さて、第二段階。満足度が低下する、ということ。
最初は自分も興奮気味であれこれと新しい異文化情報をインプットするのに精一杯だったのが、一段落すると物事を冷静に見ることが出来るようになってくる。冷静に頭の中であらゆる物事を比較検討していくのである。
「日本じゃもっとスムーズに進むのに、どうしてこんなにモタモタしているの?!」「効率的じゃないなぁ。日本みたいにこうすれば良いのに。」「あぁ、日本だったらこんな時、あんな物もこんな物もすぐに手に入るのに…」等などと、母国へのホームシックも手伝って、ついつい日本と比較してはその違いに落胆し苛立ちを感じることもある。

また「ただ暮らせれば良い」から「より良く暮らしたい」という意識レベルの向上に伴い、「どう言えばもっと分かってもらえるんだろう。ちょっとニュアンスが違うんだよなぁ…」と語学の壁を感じたりする。
「卵が手に入るんだから良しとしよう」から「あぁ、生卵が食べたい」と欲が出てくるのもこの頃。
一時帰国の際、家宝のごとく持ち帰った日本の卵。インド生活者にとっての最たる贅沢品である卵かけご飯に感動し、家族で大興奮&写真撮影会(笑)
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第三段階。再び満足度が上昇する、という背景には…。
異国での生活の中でも、ある程度異文化理解が出来ており、想定される問題にも対処することが出来るようになっているし、自分のペースも確立され、異文化の中における自分の立ち位置や在り方も分かっている頃。
第2段階で冷静に比較対照した結果を受け入れるだけの許容が出来ており、「○○は日本の方が良いけど、△△はインドの方が好きだな」「『いい加減』というのも、見方を変えれば、『穏やか』『柔軟対応が出来る』ってことじゃないのかな」などと、悪い味方から良い味方へと捉え方を変換出来るようにもなっている。
そういうわけで、酸いも甘いも嗅ぎ分け、文化の違いをありのままに受け入れ、自分なりに消化し、好感を抱いている面はより一層好きになる、という図式により、曲線は右上がりになるのではないか。

その頃の私は、日本文化をより深く知りたいと願い、それを現地の人たちに伝えようと努力もした。
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このU曲線モデルを知っておくと、落ち込んだ時、もうどん底に落ちたように感じる時、これは上昇期に突入する前の必然段階なのだ、と思うだけで救われるはず…。

大した原因ではなかったのだろうけど、どん底周期にあった私は、「誰とも会いたくない、話したくない病」になり、当時日本で爆発ヒットだった「ビリーズブート」のエクササイズにひたすら励んだ…。
体を動かし、余計なことを考えないでいると、いつの間にかどん底から這い出ているものだ。
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異文化適応のU曲線、私の場合は単細胞なだけに、まさにこの定説に沿った情緒変遷であった。


ただこの異文化適応モデルには続きがあって、異文化生活を終えて母国に戻った人にも、適応曲線の定説があるのだ。
その場合はW曲線だそうな!
この定説を自分に照らし合わせてみると、私は第3ステージにあると思われる。
W曲線を分かりやすく説明すると…

①久しぶりの母国!すんなり適応できると思っていたのに、身体や習慣は異文化対応になってしまっているため、そのギャプがより強く感じられ気分は下降気味。
「あれ?○年振りの日本やけど、私って浦島太郎やわ…。日本ってこんなに窮屈な感じやったっけ?インドの方が大らかやし、子供にも厳しくないし、住みやすかったなぁ…。なんか物価も高いし…。」

②日本の生活様式をすっかり思い出し、日本人としての感覚も蘇る頃。本来の日本の良さをしみじみ感じる上昇期。
「そうそう、日本じゃこうだったよね。やっぱりこのやり方が、日本人の私には一番合っているのよ~」

③今まで免除されていた地域社会の一員としての役割分担を課されたり、地域の中での新たな人間関係の構築が不可欠となる。また慣れてきた日本生活の中、自分を模索する。「あぁ、私、今までは○○やったけど、日本の生活も落ち着いてきたし、これからどうするべきかしっかり考えなアカンなぁ…」凹む凹むの急降下…。

④自分のペースも確立され、母国での生活、母国語の中、自由自在に活動できる喜びを感じる時期…なのであろうか??

私にとってはまだ未経験の領域である第4ステージ。第3ステージでモヤモヤ悩みもがき苦しんでいる最中の私に、明るい上昇時期はやってくるのだろうか…(汗)
これは今まさに経過観察中なので、第4ステージに無事上がれたら「本帰国後のW曲線はホンマです!!」と力説させて頂くことにします。あぁ、早く第3ステージの泥沼から抜け出せますように…(涙)


画像も少なく長かった「異文化適応モデル」なんちゃって講義のご静聴、ありがとうございました。

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[2011/11/15 23:00] | 日本語教師奮闘記 | トラックバック(0) | コメント(8)
日本語教師デビュー?!
幸運なことに学生時代から夢見ていた「日本語教師」をさせてもらえるチャンスが訪れたのは数ヶ月前。それからというもの、先輩先生の授業を見学させていただいたり、単語カード学習や復習・新文型の導入などを実際に授業で担当させていただくこと2ヶ月間。そして、いよいよ一人立ちの日が来た!

初めての3時間ぶっ通し、教師は私一人だけの授業…(汗)。緊張で前日はドキドキして、頭の中でひたすら授業のシュミレーションをする。授業で使う文例や板書メモのポイント、間違えやすい単語の区別、学生さんに参加型でやってもらう練習の段取りなど、スムーズに授業を進めるために自作の教案ノートを黙々と作る作業。
「~は~です」の文型ドリル用に小物として、鉄男のミニカーを失敬したり、準備に余念が無い。
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また新たに始まった2ヶ月コース。生徒さんの顔ぶれは変わっていて、これがまた更に緊張を高める。一旦教室に入り、出席を取ったり、後ろまで聞こえるように大きな声で話し始めると、緊張だの不安だのは飛んで行った。たまに笑いを誘ってみたりと余裕も出来てきて、生徒さんに情も沸いて来る。作ってきた教案通りになんとか全部教え終わり、あっと言う間の3時間だった…。

授業が終わり、生徒さんからの質問タイム。日本語の勉強にかける熱意がジンジン伝わってくる。「僕は今○○大学の日本科に通っていますが、あと卒業まで2年しかありません。このままの調子で勉強していて、日本企業で通用するだけの日本語力は身に付きますか?」「どうすれば無意識に正しい助詞や相応しい語彙を使い分けられるようになりますか?」など真剣な眼差しですがるように聞いてくる。

その気持ちは痛いほどに理解できる。私も語学を専攻していたので、即戦力としての語学力を身につけるにはどうするべきか、と必死だった。だから余計に「大丈夫。その熱意があればきっと上達するよ。分からないことはジャンジャン聞いてね。」と一端の教師風な発言をしてしまった。でも、生徒さんにしてみれば、高い授業料を払って習いに来ているのだから、ベテランだろうが初心者だろうと先生は先生だ。その熱意に応えるべく、しっかりと自分自身の日本語教授力を磨かねば、と強く感じた。
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いかんせん、慣用句などに弱い私は、四文字熟語を普段から多用する夫A-さんによく質問する。「『へそで茶を沸かす』ってどういう意味?」「『御用達』ってごようたつ?ごようたし?」等など…(汗)その度に苦笑され「よくそんなんで日本語教師やってるなぁ…」と呆れられている(涙)
そもそも、私たちが仲良くなったきっかけは、まさに「日本語」だった。通訳として働いていた私は、ハンガリー語の新聞を日本語に訳して、社長に提出していた。その和訳を見て、A-さんは言った。「きみ、ハンガリー語よりも先に日本語勉強した方が良いんじゃない?俺がこれから提出前に日本語の添削してやるよ。」と…(笑)

私にとっては、何かと縁のある「日本語」。インドで日本語教師に挑戦できることに感謝しながら、生徒さんのためにも自分のためにも、頑張って勉強しようと思う。
[2007/09/10 21:16] | 日本語教師奮闘記 | トラックバック(0) | コメント(4)
日本語教育研修
ここ数年、インドでの日本語学習人口がうなぎのぼりらしい。英語に次いで日本語を第二外国語として教える学校も増えてきていると聞くし、実際「こんにちわ」「私の名前は~です。よろしくお願いします。」など日本語で話しかけてくる子供や若者にもよく会う。

日本に進出しているインドのIT企業は60社を超えており、日本で活躍しているインド人のエンジニアも多いらしい。そんな現状からくるのか、就職を有利にするため、もしくは趣味として日本語を学習したい若者が増えている。そして日本語教師は慢性的な不足状況にあると聞く。

ラッキーなことに「日本語教師をやらないか」というお声がかかった。
学生時代に「日本語教師」という職業に憧れ、「日本語教育論・実践」などの授業もとっていた。そういうわけで、二つ返事でやらせていただきます、ということになった。

でも、如何せん留学時代に家庭教師として日本語を教えた経験はあっても、教壇に立って本格的に教えたことはない。なので、先ずは「どうやって日本語を教えるのか」という事から、先輩先生に教えていただいている。

いやはや、これが難しいのだ。普段は全く意識せずに話しているが、いざ生徒さんの前で日本語を話すと、いかに自分の日本語が「文型」や「ナ形容詞・イ形容詞」「否定形の作り方」等など、あらゆる文法的な要素をごっちゃ混ぜにしたものか、という事に驚いた。
話し方1つとっても、学習内容に沿った話し方・文型を用いなくてはならない。
例えば「これは奇麗な海ですね」と「この海は奇麗ですね」は違うし、「そうですね」と「そうですか」もニュアンスが異なる、という事すら認識せずに話してしまうと生徒さんは混乱してしまう。

そういうわけで、教えるための研修を受けているはずが、自分自身が日本語の難しさや面白さを改めて教えていただいているようで、毎回の研修がとても楽しくて充実している。私もそういう楽しい授業が出来るようにならなくてはいけないのだけど…(汗)

生徒さんはみんな真剣でとても熱心だ。一言も聞き漏らすまいといった感じで、一生懸命ノートを取り、質問もバンバンしてくる。
DSC02487.jpg

研修で見学させていただいている先生方の授業は、テンポ良くメリハリの利いた思わずのめり込んでしまう程の上手さ!是非お手本にさせていただきたい。

生徒さんの中には今現在、実際に日系企業で働いており、日本人とコミュニケーションをもっととれるようになりたい、と望んでいる人も多く、そこまでして日本人と仲良くなろうとしてくれる姿は素直に嬉しい。

とてもやり甲斐のある仕事だと思う。そして学生時代からやってみたかったこと。それがまさに今、目の前にチャンスとして与えられているのだ。日本語を教える事を通じて、私のインド生活の目標の一つである「国際交流の輪を広げる」ことが出来れば、これほど嬉しいことは無い。
チャンスを与えてくださった方々、ありがとうございます。まだまだ未熟者ですが、一人立ちできる日を目指して頑張ります!

[2007/07/12 23:19] | 日本語教師奮闘記 | トラックバック(0) | コメント(6)
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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