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アッチャー!? インド生活
これからのインド生活が アッチャー(ヒンディー語で「良い・素敵」)なるか、 はたまたアチャチャ…になってしまうのか? →結果:ボハット アッチャー!!インド生活!《インド生活、ムッチャええ~!》第二弾日本生活ブログは『布団が吹っ飛んだ!』です。
過去8年分の手帳
ずっと保管している過去8年分の手帳をもう処分しようかな…と思った。
パラパラめくり始め、懐かしくて子供達にも見せていたら、「これは絶対に捨てたらダメ!大人になったらまた見せて欲しい!」と子供達にお願いされてしまった。

インド時代の懐かしい日々の予定や、駐在仲間たちの名前とランチ会やら送別会の計画、妊婦健診前に調べて書き出した専門用語や質問事項、末っ子が生まれる前に書き出して考えた名前と漢字の組合せ、一時帰国の買い出しリスト、引越し先の家の修繕箇所リスト、自分の脚で見つけて廻った色んな生活情報などなど…

どのページにも思い出が詰まっていて、これを見ると記憶が鮮やかに蘇る。
…やっぱり捨てられないなぁ。
ってことで、また今後も溜まり続ける予定。
因みに私は能率手帳を愛用していて、専用の皮カバーもその年の気分で選ぶ、そんな毎年です(*^^*)
その手帳も、始まりはボランティアサークル主催のバザーで購入したインドのオーダー皮カバーと手帳のセットだったなぁ〜


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[2015/10/01 09:50] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0)
「外」からのメッセージ
在印中、ずっと頭の中にあったにも関わらず、なかなか口に出して言えず、ブログにも書けなかったことがある。
その「中」にいては言い難いことだけど、これからインドに行かれる方、または今現在、インドにお住まいの方に、本帰国後「外」からの赤裸々なメッセージを送ろうと、在印中から思っていた…。

それは、人間関係のかなり限られた社会での問題について。
インドに限らず他国においても同じだろうけれど、海外駐在というと、まず思い浮かぶのが現地の言葉の問題や生活習慣・文化・宗教の違いからくる問題である。でも、意外と一番頭を悩ませたり、辛い思いをする原因となるのは「現地での日本人社会の狭さ」であることが多いのも事実。

海外駐在は多くの場合、配偶者の仕事関係での赴任となることが多い。そうなると、会社内の上下関係、会社間の取引関係などが、当事者の夫だけでなく、その奥さんや子供の付き合いにも少なからず影響が出てくる。

人間、何処にいても同じだろうが、時には人と意見が食い違ってぶつかり合ったり、またはどうしても性格が合わなくて辛い思いをしたりすることもある。
しかも狭い狭~い日本人社会の中で、である…。八方塞がりになってしまったり、「壁に耳あり、障子に目あり」といった状況であることも多々ある。
海外生活が長くなるにつれて、「生きていく術」や「自己防衛」のために、自己主張がより強く、歯に衣着せぬ物言いをするようになる人も少なくはない。

「みんなと仲良くしなければ…」「狭い社会の中で上手く付き合っていかなければ…」と思うあまり、精神的に無理が重なり、どうしようもなく悲しくなったり落ち込んだりすることもある。

実際に私もそうだった…。事実無根の話を言いふらされたり、言ってもいないことが「○○さんが言っていた」と広く伝わっていたり、「みんな、貴女のこと嫌いって言ってるわよ」などと言われたり…。
そういうことが回り回って自分の耳に入ってくる度に、落ち込み、自分を責め、疑心暗鬼になり、人の輪に入っていくことが出来なくなり、人との関わりを避けた時期もあった。

でも、幸か不幸か、海外駐在社会の特徴として、人の流れがかなり流動的なので、だいたい3~5年もすれば、人が大きく入れ替わる。
「この人とどうしても上手くつきあえない。でも、夫の仕事の関係上、または子供の交友関係上、切ることも避けることも出来ない…」と悩むこともあるだろう。かと言って、誰かに相談して口外されるのも怖い…

そんな時は、気持ちを切り替えるのだ。
「この人間関係が20年も30年も続くわけじゃない。長くて5、6年の辛抱。そのうち、自分が本帰国するか、相手が帰国するかのどちらかだ。」
期限付きであることを知っていれば、辛い人間関係も何とかやっていけるものである。
また、例え5年以上冷戦が続いたとしても、その間に心の蟠りも薄れていつの間にかお互い笑い合えるようになっていたりすることもある。

要注意なのが「みんな」の定義。これはいつの時代もどの世代でも同じ常套句だ…(汗)
例)子供「みんな○○持ってるから、僕にも買って~!」
親 「みんなって誰??」
子供「えっと、□□ちゃんと、△△君…」
親 「たったの二人だけやろ、みんなと違うやん!」

「みんな」は、あなたの周りの「全員」では絶対にない。そんなあやふやな「みんな」の噂話は無視して、心底信頼できて、何でも話せる少数の「親友」を持とう。10人いたら10人全員と仲良く付き合わなくても良い。お互いに解り合える1人がいれば、それだけで心底救われるのだ。そしてそういう人とは、離れてしまっても、ずっと繋がっていられる「生涯の友」になれる。


そうは言っても、いつも心が安泰で落ち着いている、という人はなかなかいないだろう。
辛い時期も楽しい時期も色々ある。狭い社会でも積極的に付き合っていける時期もあれば、ちょっと距離を置いて独りになりたい時もある。そんな時こそ、現地の人との交流に重点を置くことをお勧めする。

現地の文化により深く接するべく、現地の人が集まるサークルに参加してみるのも良し、邦人社会とは関係ない現地の団体に子供を習い事させて、親子共々現地の人達との交流を深めるのも素敵だ。

実際、私は日本人社会に息苦しさを感じて、意識的にインド人オンリーのサークルに通ったり、外国人との交友を深めようと努めたことがある。最初は「逃げ場」として選んだけれど、最終的には「真の友好」に繋がった。
インドをより深く知るきっかけになり、また、他国の友達との付き合いがより楽しくなり、お互いに自国文化をより深く知って貰いたいと、互いのお国料理を持ち寄ったり色々なことを語り合ったりした。

お手伝いさんやドライバーさんの雇用問題など、日常の悩みも打ち明けた。目から鱗な発想転換のヒントを得たこともある。スタッフのことで頭を悩ませているのは、家の中で人を雇うことに不慣れな日本人特有な悩みなのかと思えば、インド人奥さんも韓国人マダムも大いに悩み、ストレスを抱えているのだと知った。
子育ての考え方も共感したし、参考にさせて貰ったりした。
そんなひとつひとつのやり取りを通じて、「インド人」「日本人」「○○人」といった区別はなくなり、人間としての付き合いが出来るようになっていく。
そうして「日本人社会」という狭い中での悩みだって、「私には別の世界もあるんだから大丈夫」とやり過ごすことができるのだ。


それからもう一つ、是非お勧めしたいのが「日記をつけること」。
誰かに見せるためではなく、自分の気持ちを記録として残すのが目的なのだから、丁寧に毎日書く必要もない。後々、「あぁ、自分はこんなに頑張ってたんだな」と自分を褒めてあげたくなること間違いなし(笑)

実を言うと、今の私はこのインド日記(=ブログの過去日記)に救われている。本帰国して早2年。久しぶりの日本生活に戸惑い、慣れない土地で地域の役割にあたふたし、涙したことも多々ある。今でもどうしようもなく落ち込むこともある。
ウジウジしてどうしようもない時こそ、インドでの日記を読み返すのだ。「母国語でなく、住環境も宗教も文化も全く異なる、日本とは全くの別次元世界のインドで、私はなんとかかんとか切り抜けてきたんだ!日本語の中で、共通事項も多い環境で、生きていけないわけがないじゃないか!?」と変な自信がみなぎってくる。

人生最低最悪だと嘆いた日々もあった。こんな試練、何の意味もないんじゃないか?、と死にたくなるほど全てを呪ったこともある。それでも今は笑って話せるようになっている。全ては意味があったのだと。
日々の出来事や悩みを冷静に見つめられるように、またこの先、同じ壁にぶち当たる時、未来の自分を励ますために、自分のインド生活の記録を是非つけてみて下さい。

その「中」にいる時には分からなかったこと、言えなかったことを徒然なるままに書いてみました。
今まさに「中」で苦しんでいる方に、少しでも楽になって貰えたら嬉しいです…。

…不惑の40歳まであと少し、まだまだ色々戸惑いながら生きているaranyosより

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我が家のぐうたら犬の福も応援しています♪


[2012/10/26 11:42] | 日記 | トラックバック(1) | コメント(3)
歳月の流れ
帰国後ブログ「布団が吹っ飛んだ」を更新しました。
よろしければ以下からご覧下さい…

布団が吹っ飛んだ
「歳月の流れ」
[2011/12/13 15:31] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0)
ドキュメンタリー『未来を写した子どもたち』
インドで生活をしてからというもの、やたらと「インド」に敏感になっている。誰しもがそうであると思うのだけど、自分が関わったり思い入れのある地には、その後も関心が働くものだ。

先日、インドの売春街で生活する子供達の姿を追った、アカデミー賞受賞のドキュメンタリー映画『未来を写した子どもたち』を観た。
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インドの一都市であるコルカタ(旧名:カルカッタ)にある売春街。
そこには、違法であると知りながらも生活のために身体を売る女達がおり、彼女たちの多くが家族とともにそこで生活している。
売春街で生まれ育ち、将来は母と同じ売春婦になる運命にある少女達。男に生まれても、売春婦の世話をしたり、客引きである「ポン引き」や麻薬の密売などの道に進むことが決まっている少年達。

誰に教えられるまでもなく「自分の未来は明るくない」と身にしみて感じ取っている売春街で生活する子供達を対象に、写真教室をひらいたフリーライターの外国人女性がいる。
子供達一人一人にカメラを与え、好きな構図で写真を撮らせる。そして現像してみては、良い点を褒めたり、もっと良くするためのコツを教え、子供達の隠された才能を引き出していく。

子供達はファインダー越しに色々な大人の姿を客観的に捉え、そして色々なことを感じ、自分も辿るであろうその姿を疑問に思い、明るい将来を夢見る。夢見てはいけないと知りながら、感じながらも、売春街を飛び出た後の、自分の明るい未来を切望する。

子供達にとっては写真の先生であるが、同時に子供達の未来を明るいものにしたいと活動するフリーライター。子供達にまともな教育のチャンスを願い、学校に掛け合い、役所の手続きに翻弄され、それでも一人、また一人と、売春窟からの救出に成功させていく。
売春窟から逃れた子供達の未来は明るいものに違いなかった…。でも、現実はそう上手くはいかなかった。
子供達が自分たちの夢と現実の狭間に置かれ、どのような選択をするのか、もしくは選択を強いられるのか、それぞれの結果に胸が締め付けられる思いがした。
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「貧富の差」という単純な言葉では測りきれないほどの差があるインド。
インドに5年弱住んだとは言え、私が見て経験したインドは、ほんの一部の限られた世界だけだ。しかも、「日本人駐在員」という安全も身分も会社や国に保証され厳重に守られた環境である。
そんな環境とは対極とも言える、人権もなく、安全も保証されず、無法地帯に暮らす売春街の人々の生活は、知るよしもなかった…。
そんな自分の知らないインドを目の前にたたきつけられた思いだった。
もし、こんな状況を在印時代に知っていたら、自分にも何か出来ただろうか?
いや、知っていたとしても、きっと何も出来ず、何も変わらないのかもしれない…。

アーユルヴェーダ、急発展、ヨガ、摩訶不思議な国、IT大国…、色々なキーワードが当てはまるインドだけど、こういう世界があることも知っておくべきだと思った。


重たく、苦しい気持ちになるけれど、売春窟から抜け出した一人の少女に一筋の希望も抱ける映画です。
機会があれば、是非観てみて下さい。

[2011/10/05 14:14] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6)
映画『神様のカルテ』
もう一つのブログ『布団が吹っ飛んだ~遠州からっ風便り~』にて日記を更新しました。
よろしかったらこちらからどうぞ
映画『神様のカルテ』
[2011/09/11 21:15] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0)
ニューデリー日本人学校同窓会
海外の日本人学校の特色は色々とあげられるだろうけど、中でも「一期一会」という言葉を子供なりにもずっしりと理解できる環境であることは確かだろうと思う。

たまたま偶然、同じ時期に日本を離れ同じ国に生活したことから出会った奇跡。別れの時は、帰る場所も日本各地、もしくは更に移動で違う国へと散り散りバラバラになってしまう。「さようなら」と言ったが最後、本当に二度と会えないような地理的距離を隔ててしまうことも少なくない。

別れの時は本当に辛い。日本人学校に学ぶ子供達は、出会った奇跡を理解し、一緒に過ごす時間を大切にし、そして何人もの友達を見送り、辛い別れを何度も何度も繰り返し、いつかは自分も見送られることを身を以て知っている。

「二度と会えないかも知れない」と心のどこかで思いながらインドで別れた友達と、時を経て日本で再会出来るなんて本当に嬉しいことだ。そういう機会を作ってもらっていることに心から感謝。
ニューデリー日本人学校の場合、「校長先生が任期を終えて帰任された翌夏に開催する」という恒例の同窓会がある。
前回の同窓会から3年振りとのことだが、昨秋本帰国した私たちは今回が初めての参加。
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ニューデリー日本人学校では、毎年学年末に全校生徒児童の作文集『たいよう』を作成し、文集末尾に帰国、もしくは移動でインドを離れた先生や児童生徒の連絡先を掲載している。そのそれぞれの連絡先に「同窓会のお知らせ」が届くという仕組みになっている。

子供達にとっては、幼稚園からお世話になっている日本人学校の友達。親にとっては、苦楽を共にし、互いに助け合い支え合ってきたインド生活の戦友。
日本の学校では父親同士の結びつきはあまり強くないかも知れないが、海外、特に進出日本企業がまだ多くないインドにおいては、「子供の友達の父親=仕事のパートナー」であることが殆どである。
だから学校の人間関係は、子供達にとってだけでなく、母親にとっても父親にとっても思い出深い人間関係であることが多い。
そういうわけで、それぞれが懐かしい想いを胸に、家族総出5人でニューデリー日本人学校の同窓会に出席してきた。

会場はもの凄い熱気に包まれていた。13時から15時というたった2時間の開催の為に、北は北海道から南は鹿児島まで、はたまた海外からはベトナム、韓国、インドからまでも、多くの人が懐かしい再会を求めて東京に集まった。

会場に入るなり沸き上がる歓声。抱き合う人達。あちこちで出来上がる人の輪。再会を祝う乾杯の声。カメラでの記念撮影。メールアドレスや携帯番号の教え合い。お互いの近況報告。それぞれの子供達の成長に驚く声…。
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我が家のピー助のように、インドで別れた頃には存在していなかった新しい命が誕生していたり、ヨチヨチ歩きだった赤ちゃんがすっかり子供になっていたり、はたまた中学生だった子供達は見違えるような青年に成長していたり…。
話しは止まるところを知らず、久しぶりの再会にも関わらず、つい先日までインドで一緒に会っていたような錯覚さえ覚えてしまう不思議な空間。

久しぶりに会う子供達は、背がグンと伸びていたり、しっかりした顔つきになっていたりと成長を実感させられたけど、やっぱり中身は変わっていないようで、会場の床に座り込んでカードゲームに興じたり、ゲームの対戦をしたり、何も変わらない懐かしい光景が繰り広げられた。
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元2年M先生学級男子と担任のM先生。
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話しに夢中になっていると「残念ながら、もうお時間です…」とのアナウンスが入り、これまた懐かしい音楽の先生の指揮の下、全員で日本人学校の校歌を斉唱した。胸に熱いものがこみ上げたのは言うまでもない。
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「僕らの国は遠いけど」「色鮮やかな日の丸は」「僕らのバスに微笑んで」歌詞のフレーズ全てに、日本を想いインドを実感し、ことある毎に歌ってきたニューデリー日本人学校の校歌。子供だけでなく「私も歌える」という保護者は多いはず。
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インドではビザの関係で就労できないこともあり、殆どが専業主婦で「マダム」な生活を送ってきた母達。でも日本に戻って、新たに仕事を始めたり、資格にチャレンジしていたり、子育てに奮闘していたり…、と今も輝き続ける多くの友達の姿に刺激を受けた。私も頑張るぞ~!

朝8時過ぎに自宅を出て東京に向かい、夜21時頃に帰宅した私たち。子供達は冷めやらぬ興奮で新幹線の中でも色々と話していたが、ピー助は流石に疲れたようで移動中の父の肩でグッスリ熟睡。
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次の同窓会は、現校長先生の帰任翌夏。2~4年後だろうか。その頃には、今インドで頑張っている友達の多くも帰国しているだろう。同窓会での再会を早くも心待ちしている。

[2011/09/02 23:50] | 日記 | トラックバック(0) | コメント(4)
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プロフィール

aranyos

Author:aranyos
2006年4月家族でインド亜大陸に上陸。
心優しい夫のA-さん、鉄道大好きな息子の
鉄男、プリンセスにあこがれる娘のチーコ
と私に加え、インド生まれのピー助の5人家族。
インドでの目標は
*サリーを作る→次は着られるようにならねば!
*パンジャビスーツを作る→済み
*ヒンディー語にトライしてみる→講座終了
*インド料理を作れるようになる→修行中
*デリーにある全遺跡制覇→日々徘徊中
*国際交流の輪を広げる
「郷に入っては郷に従え」をモットーにインド
生活を楽しむぞ!

2010年10月15日を以て、インド生活に幕を下ろしました。
インド生まれのピー助が成人する2028年に、再びインドの地を踏みたいです!「インド再訪貯金」頑張るぞ~!
本帰国後、新たに、犬の「福ちゃん」も家族に加わりました!
《結論》
ボハット アッチャー!!インド生活!
(インド生活 最高です!!)

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